ラス・メイヤー一週忌



 本当に死んでしまった。信じてたのに(不死だと)。特に最新作パンドラ・ピークスを観てしまってからは落ち着かない夜がつづいた。まずこの映画がすばらしいのはなぜこんなものが撮られたのかがさっぱりわからないところだ。しかも「異星人が……」とか「千年後、砂礫の中から発見されたフィルムを未来人が……」とかそういう特殊状況を設定(想定)するまでもなく、いま、ここで、たちどころにわからない。目まぐるしいカット割りと間抜けな効果音と途切れぬナレーションと無闇に脱ぎっぷりをアピールする巨乳金髪美女、それだけで構成された72分の内容で語られるのが監督自身の自伝的エピソードの数々でありしかもこれが三十年ぶりに撮った映画だというから知れば知るほどわからなくなるがわからないからってどうということもない。こりゃオリヴェイラのごとく怒涛の十年間に突入か、作家が六十からだとすれば映画監督は七十、八十からだよね……なんて思わないでもなかったのだけど。


 たぶん六七年前だったと思うが大阪でラス・メイヤーをオールナイトで観るイベントがあって、そこで何本かのVHSも売っていたんだけど一万円くらいしたので誰も手を出さず、遠巻きに眺めて「ラス・メイヤー早く死なねえかな」などとつぶやきながらロビーをうろうろしていたものだった。そのイベントのいちばん最後に何かの作品のメイキングと称した手ぶれの激しいビデオカメラの真ん中で四個の巨乳に挟まれてひたすら嬉しそうな老人を映しただけの音がほとんど入っていない環境映像を見せられて、むろん朝方、徹夜明け、散々巨乳を見せられたあとなだけに神経を逆撫でする以外の何ものでもなく、お宝映像でありながら次々と客が席を立ち、去り、とうとう自分と連れのふたりだけになってしまって、それでも黙々と最後まで観て疲労のあまり死にたくなるほど幸せになってしまった。しかしもしかするとあの映像が九時間とも十時間とも伝えられる幻のドキュメンタリーフィルム"The breast of Russ Meyer"の断片だったのかも……と想像するだけでとりあえず五年は生きられる。


 またDVDボックスが二セットも出るようなのだが、『カモンロー・キャビン』が観たいからとりあえずモンドボックスだけ……なんて考えていた自分が恥ずかしい。こういうのは勢いだけで予約をしておくに限る。キャンセルするのも面倒だ。待っていれば勝手に送ってくるだろう。何でもいいから一刻も早くアーデル・ラインが見たいものだ見たいものだ……と『カモンロー・キャビン』の予告編をもう一度観る。トッド・へインズもエデンより彼方にを撮る前に一度でもこの映画を観ていればもっとましなものができたんじゃないかなあ(適当)。