いま気づいたのだけど世界が格子状に見えている。これは比喩ではなくて本当に眼球に格子模様が貼りついているかのように視界にうっすら透過した、よく注意するとただの横じまだったけど黒と白の模様が刻まれていて消えてくれない。ところでさっき少しだけ発売まもなく買っておいた『ヴァンダの部屋』のDVDを観ていたのだけど後方に配置したスピーカーから聞こえてくるヴァンダの咳き込む音がやたら耳につき不快で堪えがたく、スピーカーとはいえ別に特別なシステムを組んでいるわけではなくごくささやかなコンポに無造作に接続されているだけだから劇場にくらべると子供だましもいいところで、半年ほど前に劇場で観たときもヴァンダの咳き込む音は決して快い響きではなくそれが断続的に最後まで止まらないのだから観ていてほとほと気が滅入ってくるのだけどそれはあとで振り返ったらそうだったという類いの気のせいにすぎず、実際は堪えられるし堪えているという意識もなく映画の一部となっているんだけどテレビで観るとそうではなくその場で堪えがたいと感じた。しかしこの映画の導入は何度観ても落ち着かない。普段から三個揃えた十面ダイスの組み合わせによって観るものを決めているためこの映画について「どっかの一家に二年間密着したドキュメンタリー」という程度の予備知識しかもっていなかったのけど冒頭のふたりの女性が暗がりのなかベッドの上で病的に咳き込みながらコカインを鼻で吸収している場面の、少なくとも既存のフィクションやドキュメンタリーの枠組みから離れた撮られ方は異様に居心地が悪く、別に目下観ているものがフィクションと呼ばれようがドキュメンタリーと呼ばれようがどっちでもいいしそんな区別は便宜的なものでしかないとも思っているけどここまで露骨に「何でもないもの」を見せられるとやはり戸惑ってしまう。タイトルの直後の逆光を受けて男性がシャワーを浴びる場面が来るまで座席と尻のあいだがむずむずしてしょうがなかったしやはりテレビで観直しても異様に感じた。


 よく知らない人々がよくわからない細かいことを延々とつづけているところが好きなんだけど(ソファの位置をなおしたり部屋の中をうろうろしたり)その映像や音があまりに巧妙に美しく捕えられているため観ているとだんだんはじめの異様さの種明かしをこの映画自身にされているような気がしてくる。もちろん圧倒的ではあるんだけどある種安心して身を任せられるようなところもあって、ついつい気持ちよく眠り込みそうになるところを映像や音の変化(と持続)に首根っこをつかまれ引きずり出され、そのたびに何度も襟をなおしてふたたび身を任せる……が、実際に眠り込みそうになったのは実は一度だけで、その一度をぼくは映画が終わるまで延々と反復していたのだった。