どこまで伝わるかわからないけど、これは初夢の話……かも知れない。見たのはさっき、『asTral glamour』/The Homosexuals*1をかけながら右の眼球の裏側にひろがる鈍い痛みを抱え込んでベッドの中で呪言を呟いていて五分だか十分だか十五分だか、この寒さはどうにかならないのだろうかとかやはりこのバンドはすばらしいなあとか思いながら、で、気がついたらそこにいた。そこというのはベッドの上なんだけど、ちょっと気分がよくなって飛び下りてみたらどうも別の部屋にいるらしい、それも部屋の感触(視覚的な、諸々の感覚の断片が視覚に統合された)からして実家で、廊下から顔をのぞかせてみるとリビングでは母親がスーツを着て出社の準備をしているのが見える。ここで早くも、ああ、これは夢だなあ、と自覚する。自覚の裏づけを取る方法はないものか、とひとまず俗説に従って両手を順番につねってみる、と、麻酔にかけられたように痺れて感覚がない。頬をはたいてみても同様で、俗説に従うならやはりこれは夢なのだという結論に到ってはみるのだけどやはりもっと確証がほしいという思いは残る。というのもあまりに現実感があるからなのだ……としかいいようがないのだけどもちろん普段生活しているときにわざわざ現実感を意識しているわけもなく、現実感というのは生きていること、在ることのリアリティをなぞるという抽象的な手つづきが踏まれた結果生じるものなのでやはりこれは夢なのだということになるのだけどそのとき感じている剥き出しの生々しさにはやはり抗いがたくなかなか認識が追いついてくれない。しかしいま自分の置かれている状況が「飛んでいる」ということだけは冷静に理解できている。実家から離れた自分の部屋でベッドに潜り込んでいたという事実(記憶ではなく事実としての認識)は疑いえない。だからとりあえず夢だと結論してもよいだろう。ではさっさと醒めるに限るのだけどその方法がわからない。ベッドに潜り込んで眠ろうとしてみる。布団の暖かみの中でまどろみかけているとけたたましい音でかけたおぼえのない目覚ましが鳴る。足を伸ばせば届く位置だったので蹴飛ばして無理やり止めようとするのだけど壊れたらいけないので起き上がって手で止める。頭は妙に冴えてしまっている……で、そのまま脱力してちょうどベッドに腰かける格好になってはじめてベッドの形が実家にあるはずのそれとまったくちがうことに気がつく。正確にいえば気がついたことを認識する(こうやって書いていると「認識」という言葉はこの使われ方においては夢の中での感覚の働き方にもっともうまく適合した言葉なのではないかなどとも思えてくる)。そうこうしているうちに玄関を開ける音がして妹が顔をのぞかせてくる。現在首都にいるはずでは?と思うのだけど何も聞かない。夢だから。そして夢なのだから何でもできるはずだ、何をやってもいいはずだ、という考えに到る。少なくともそういう法がまかり通っている。しかし何ひとつやりたいことが思い浮かばない。せめてここが実家でなくいま住んでいるところだったら……とも思うけどたぶんそれでも何も思いつかないだろう。それでも悪あがきでひきだしの中をひっくり返したり外に出てめぼしいものはないかとマンションの上からあたりを見渡してみる。案の定何ひとつ見当たらない……このへんまでで記憶は途切れていて、次の意識は再び布団の中で覚醒したとき、ああ、戻ってきたのだな、という静かなおどろき(引きずられて青白く伸びきった認識の端っこの不意の冷たさ)だった。夢の記憶はそれ単体ではあまりにも現実感がなく、「現実感があった」という事実の認識だけが朧に残っていた。

*1:言い忘れたけどこれは2004年最大の収穫だと思う。彼らのほとんどの音源が手に入る三枚組で3000円ちょっと。ロンドンのD.I.Yとかパンクの代表格みたいなものらしいが(写真やアートワーク、コラムが満載のライナーも必読)とにかくおもしろい。はじめは普通のヘナチョコのポップスみたいなんだがヘナチョコっぷりがドライヴしながらいろいろな音楽の要素を取り込み気がついたらやたら技巧的で複雑になっているけどやっぱりどこかにヘナチョコ感が残っていてすばらしい。この前買ったGandalf(ジャックスの「時間を止めて」そっくりの曲があった)みたいな60'sサイケ風味もあるし、油断していると民族音楽みたいな音を鳴らすし……ジャムセッションで延々と繰り広げられるギタープレイやノイズも楽しい。本当にこれほどお薦めできる/したい盤もなかなかないのでぜひともひとりでも多くの人類に買って聴いていただきたいという思いを胸に秘めている。

Astral Glamour