『ドラえもん』の未収録作品集が出ていたので目についた吾妻ひでお失踪日記』といっしょに買ってくる。『ドラえもん』はあくまでてんとう虫コミックス未収録というだけでFFランド等で読んだことのある作品も収録されているのだけど(「グルメテーブルかけ」って単行本未収録だったんだなあ。エスカルゴブルゴーニュ風、あまだいのシャンパンむし……)新鮮な気持ちであらためて読むと話やコマ展開の飛び方、心なさがとてもおもしろい。ほとんど不条理漫画ではないか。初期(タケコプターを後頭部や背中につけているころ、顔が胴から伸びてなまずみたいな背格好)のドラえもんはほとんど狂人としかいいようがなく狂言、奇行など朝めし前の過剰な生活順応ぶりが強烈ではあるけどそれがおもしろいのは当たり前といえば当たり前で、それよりもひたすら順列組み合わせの可能性を試すかのように似たような道具を似たような状況で使用し結局は似たような結果に陥るおなじみのキャラクターを整然とよどみなく運び出す、切断と飛躍が重ねられながらも的確で簡略な構図とネームによって結晶化された絶妙の一コマをしかし特に傍点を穿つわけでもなくさっさとその場に置いてきてしまう怜悧な視線の前ではドタバタもいい話もご都合主義もワンパターンも古典からの盗用も不条理の名のもとにすべて同列に置かれてしまうしそもそもそれに気づく前に話は終わってしまう。「みらいラジオ」なんて5Pだ。


 作者自身はどこかで『ドラえもん』のことを「実験漫画」だと言っていたのだけど(このひとことはあまたのドラえもん批判を瞬時に吹き飛ばすような単純で的確な批評で感服するほかない)そのことはあまり出来のよろしくないと思われる「ぼくを止めるのび太」のような作品でより露骨に実感できる。出来のよろしくないと思われる、というのは「タイムマシンを利用することで同軸時間上に自分が複数存在する」ことを利用した「ドラえもんだらけ」や「ガラパ星からきた男」に代表される類いのいわゆるタイムパラドックス物と比較して、ということ。パラレルワールドと同時存在ののび太が入り乱れて収拾がつかなくなり、ドラえもんも「そりゃむりだ」とさじを投げて破綻したまま強引に日常へ戻ることを余儀なくされる。お小遣いでプラモを買わずにカップラーメン十個を買ってしまったことへの後悔からはじまるこの話自体は相当にみみっちいのだけど、結局収まるべきところに収まらずつまらなそうにカップラーメンのプラモを作るのび太とコマの奥から観音フェイスで穏やかにそれを見守るドラえもんの構図で終わるこの飛び方は……やはり相当にみみっちく、またそのぶん不気味さが際立っていた。出来はともかく一読の価値はあると思う。


 ところでかつて金井美恵子はインタビューで「実験」という言葉を使った渡部直己をたしなめて「小説家は実践するのです」と言ったのだけど、その言葉の正当性は疑いないとして、では実験漫画たる『ドラえもん』はその実験の上澄み(成果)だけで構成されているのかというとそうではないし「ドラえもんの後にはぺんぺん草も生えない」ことを目指していると語った作者自身もまたてんからそのつもりがなかったのだということがわかる。だから未収録だった作品というのは作者の意志というよりただの「現状」だったのかも知れない、ということ。さすがに意図的に封印されたガチャ子やら『ドラミちゃん』(という作品)までをも復活させるのは暴挙だと思うしまずもってないだろうが。……こんなことをついつい書いてしまったのはやはり実験であり実践だったはずの深夜番組の上澄みだけを掬った松本人志『ひとりごっつ』のDVDが(「傑作選」であるはずなのに)いまいちおもしろくなかったことを思い出したからなんだけど。中古でビデオを全巻集めた方がどんなにかいいと思うよ。