どうも今年に入ってからパソコンが不調で難儀する。今度はモデムとの通信ができなくなる。いくつかの消極的事情によりいまだ世にも稀少なダイヤルアップ接続者の立場に甘んじている身なのでとりあえず1500円ほどの内蔵モデムを買ってきて装着。気を取りなおして『ひぐらしのなく頃に解』読了。サルトルがかつて何を言おうといまやどうでもいいことだけどいま「飢えた子供の前で文学は役に立つのか?」などという問いかけを有効なものとしてまっすぐ口にして憚らない人間はいるのだろうか、いるとするなら正気なのだろうか。飢えた子供を前にして食料を与えずに文学を差し出すなんて……紙を食べろと、霞を食えと?そうでないなら放っておけばいい。なぜわざわざ文学を与えるのか、与えることが所与の条件になってしまうのか。文学が自明に残るべきものであるはずもないし、かといって滅ばないならば少なくとも誰かがそれを必要としているということだろう(そういうことでいいじゃないか、そっとしておけば)。いまさら飢えた子供の襟首をつかんで引っ張り出してきてまで論じることではないしそもそもそんなマッチポンプのような言葉遊びがいまだ機能するとは信じがたい。クッツェーは『エリザベス・コステロ』において飢えた子供など引っ張り出してくることなく(おそらくかつての自らの作品の一部を含む)「飢えた子供」派たちを批判しながらしかし現代の文学のあり方などをことさら問うこともなくつつましく作品によって示したのだと思う。この作品の発表後、作者は一時期「小説を書かなくなるのではないか」と危惧されたこともあるというが本当に書かなくなったとしてそれはそんなに大変なことなのだろうか。ノーベル賞作家とはいえたったひとりの作家が小説を書かなくなるという程度のことが?ファンからすると残念とはいえるかも知れないが不慮の事故や病によりそれを余儀なくされたというわけでもないしつまらない売文業に身をやつしているというわけでもなく『エリザベス・コステロ』という傑作でも力作でもないささやかでしかし巧妙な小説を発表したことによってということならば受け入れるほかないし受け入れれば済む話だ、むろんどうしてもこの文学講義と小説を兼ねた中途半端な小品を受け入れられないというならば話は別だがいまとなっては、つまり『エリザベス・コステロ』が書かれそれが読まれてしまったいまとなってはこの作品を書かずに以前のような小説を発表しながらのうのうとノーベル賞作家という然るべき称号を疑いなく受け入れいている(ように見えたかも知れない)クッツェーの姿はひどく能天気にも思えたことだろう。


  れなぱんOnline ボイス版が公開されたというのでのぞきにいくがこれは放っておくと淡々と一晩中やっていそうな気配がして危険だ。声がつくだけでこうも対するときの気分がちがうとは……。オフラインでやったときはすぐに五十発は超えたのになぜかオンライン版では一時間つづけても二十発にすら届かないのも不可解だ。身体に悪いので早々に切り上げて我が部屋に巣くう山の神とwindows media playerで遊ぶ。パソコンで音楽を聴く習慣がまるでなかったので話には聞いていたもののつい半日ほど前に目の当たりにしたばかりだったのだがCDを挿入してweb接続しているとプレイヤーが勝手にそのCDの情報を拾い上げてきてくれるのが面白くていろいろと突っ込んで「情報なし」の項目がいっせいに情報で埋め尽くされる視覚的快感を愉しんでいたところ当然のごとく、さて、ということはすべてのCDの情報がwebに登録されているということだろうか?という疑問にぶち当たり、これまた当然の流れとして「勝負といこう」と相成った。手焼きCD−Rレベルの明らかな自主制作ものがないのは明らかだから除外するとして、でも流通さえしていれば「殺人の時効は15年」、樋熊より子『毒婦マチルダ』のようなものもあるし(これはどちらも山の神の手札だが、やはり選択に問題があるように思う)、一方こちら側もBedlam "the crazy people"や盲点をついて暴力温泉芸者座敷女』(ドラマCDのリミックス)などで挑んでみたが玉砕。『信長の野望覇王伝』(山の神)とSTOCK, HAUSEN & WALKMAN "giving up"というような互いに勝つ気皆無としか言いようのないカードがつづいたあとアヴァンギャルド拘束ルールの解除が高らかに宣言され、にもかかわらずそそくさとマジカル・パワー・マコを引っ張り出してくる山の神を罵倒しながらもようやくMaurizio Bianchi "FRAMMENTI”にて勝利を収める。記念に情報を登録してから散らかしたCDを適当に片付けた(しかしMBにはすでに14枚のアルバムが登録されていたので危なかった。誰かがせっせと登録しているということだろうが……。とにかく新しいCDを聴くときのちょっとした楽しみができた)。


 ところでいま書きながらPREFUSE73 "SURROUNDED BY SILENCE"を聴いていて思ったこと。17曲目は『CLANNAD』(特に一ノ瀬ことみ)ファン必聴かも知れない。このアルバム自体は流して聴くとなかなかすばらしいアルバム。トラック一つ一つの鋭さや衝動には欠けるが散漫さというか抑えたトーンが全体としてはよく響く。