なんにせよ技術を軽んじぬこと。最小単位の正確さを積み重ねることで自らの身体の中に論理(倫理)を構築し、しかし身体の外であっさりとそれを裏切り無理やり別の体系を引き込む「技術」を身につけることにとりあえずは関心を持っておいてほしい。上の空であることは難しい。なぜなら上の空は技術の賜物だからだ、技術とは模倣と反復の結果としてあらわれるものでしかなく不可視で言語化できない、ゆえに得難いものだからだ。個人の生活はさまざまな技術の重なりあい、ぶつかりあいによって成り立っている、それ自身が営為であり結果であり目的であり動機なのだ、技術はつねに総体として自らを築き、解き、編みなおしながら決して何かに還元されることなく「上の空」として個人の遠点に触れ、外側に向かって開いていく。だから上の空であるための技術では意味がない。そういう焦りや中心化は技術をひたすら身体から遠ざけるだろう。技術はまず待つことからはじまる。何かの到来を待つのではなくただ待つ。もちろん明日はすでに過ぎ去っているし昨日が来ることはおそらくない。だからひたすら「待つ」という状態に耐えよ、立ち去ってもいいから待て。生まれてはじめて立ち上がった赤子がまずどこへ手を伸ばすか見届けてからでも……。