色合いだけで泣きそうになってしまうことがある。仕事の合間にぼんやりと開けたり開いたりしていた自分宛てではないメールの中で……いたずらに感傷や郷愁をまねくような条件もなく、またなんら個別性のないあらかじめメールブラウザに備えられた朱色の文字列、自分とは無関係の数字と商品名がつつましやかにならぶほんの数行が、その内容を空項としながらあくまで色合いそのものとして目に飛び込んできて、まず視界が揺らぎ、胸が締めつけられ、身がすくみ、眼球の裏側から温度がゆっくりと染み出してくるのが感じられ、あわててマウスをスクロールしてその文字列を画面の外に追いやってしまうとまたたく間にその感覚は収まった。そのとき機械的に作り出された複製可能どころか複製そのものであるはずの朱色の文字列によって正体不明の記憶が呼び起こされようとしていた、何度も呼び起こされかけ、呼び起こされつつあるという感覚の残響を身体の隅々に残していった。ふたたび同じ朱色の文字列を目にしても身体は何の反応も示さなかった。それはただの色で、しかも誰もが使うことができ、誰が使っても同じ色合いしか再現できないということになっていた。しかし実際にその色合いによって偽の記憶が身体をよぎり、偽の感情で胸を締めつけられ仕事中にひとりディスプレイの前で泣きそうだったのだ。文字は意味ではなく色合いで、存在するはずのないものがよみがえりながら、そのよみがえりつつあるという認識によってその色合いのなかに偽の生が立ち上がりつつあった。


  ……ということを『フタコイ オルタナティブ』を観ながら思い出していた。そしていまFILM05「7DAYZ(...and Happy Dayz)」の戻ってきた沙羅と双樹が恋太郎から張り紙を奪って工事現場のフェンスに等間隔でリズミカルに「よ」「は」「よ」「は」と貼っていく場面を思い出していた。どこまでもつづくか(どこまでつづいてもかまわない)と思わせた瞬間に工事現場のオヤジに一喝され中断してしまうのだけど……とにかくここはひたすらいい。あとこの番組の合間に『フリクリ』のCMが流れるのもいい。(曖昧な市場原理や趣向という言葉によって大半の差異が片付いてしまいかねないアニメーションのイメージや物語、方法上の貧しさと踵を接した、あるいはその裏側に貼りついた)容赦のない豊かさに触れている作品で、『フタコイ オルタナティブ』とも響きあっている(部分がある)と思う。