日記


  お昼休みにも似た日中の手狭な時間帯にわざわざベンチに座り汗をかきつつ文庫本を開く。と、遠くから猫が近寄ってきて、靴先あたりで少し後ずさりし、大きく旋回してからベンチの脇にある水のみ場の陰に陣取り、おもむろに口を開いた。「時間は実在としてある。それを知るのは時計だけだ。ひょっとしたらこの世界で信じるに足るのは時計だけなのかも知れない。時計が狂っているということは時間が狂っているということだ。ある時計がほかの時計とくらべて遅れているということはそこの時間がよそとくらべて遅れているということだ。時計が止まってしまったということは時間が止まってしまったということだ。それでも淀みなく時は流れる、とひとは信じて疑わない。時計は徐々に遅れていく。だから時間も遅れているのだということがわかる。あるいはそう認識できる。時間をいつでも正確に示してくれるのは時計だけだ、日没も四季の変化も老いも、生命の営み、熱の移動やエネルギーの拡散なにもかもが時間に付随する現象でしかない。たとえるならばそれは鏡に映った像でしかなく鏡そのものではない。時計の刻みだけが正確に時間を知らせてくれる。時間は時計の正確な刻みにおいてのみある。時計の実在を疑うものがいようか?いるだろうがそんな者にかける言葉など誰が持ちあわせよう?」いうまでもなく猫は内側から裏返ってしまいそうなほど大きな欠伸をし終えたあと口を閉じぼんやりと頭などをなでつけている。声はずっと猫のほうからではなく背後から聞こえていた。(おそらくは手にカンペをひそめて)しゃべっていたのは髭を剃ったチコ髭の青帽子ではないか。あの声はまちがいない。「しかしそれをどう証明すればいい?そして証明せずしてそれをどう認識するのか?」そう聞いてみた。「それもまたひとつの証明だ。何を証明しているのかはわからない、おそらくその証明が完全に消滅したときその証明が証明していたものが明らかになる、明らかになることで証明は消え去り、その証明されたたとえば真実とやらは証明されるまでもなく真実でありそれははるか昔に証明されたわけだがその真実とやらが真実とやらであるためには何の証明も必要ない。時間は実在し時計だけがそれを正確に刻みつづける。この真実とやらはすでにはるか昔に証明されている。しかしその証明の内容は誰も知りえないしその証明とこの真実とやらのあいだにはいかなる関係もない、根底的に無関係なのだ。しかしかつて証明はあり、そしてそれとは無関係だが証明された真実とやらがいまある。認識したければ時計を見ろ。見ること以外にどんな認識の手段が残されているというのかね」声がそう言い終らないうちに猫は消えていて、いない、とそっちに気を取られた隙に背後のチコ髭の気配もなくなっていた。背後の草むらには(案の定)周到に用意されたカンペが残されているだけだった。中途半端ながらまだ空き時間は残っていた。