毎度のごとく呪詛と歓喜に彩られた週末もYoko Onoと栗山千明のうるわしくも禍々しい新旧世代のささやかで慎ましやかな揃い踏みによってひとまず多少はましな形で過ぎつつあった(たいした内容ではなくどちらかといえば資生堂について学んだことのほうが多かった、いらぬお世話だが)。今日は我が映画体験の原点である(かどうかは知らないが)ところのJoe Danteのすばらしさを再確認したくなって『ルーニー・テューンズ バック・イン・アクション』を観ていた。のっけからワーナーのお歴々に取り囲まれた長い会議机の上で暴れまわるダフィー・ダックに快い気分にさせられてしまって、わずかに頭をもたげていた「企画会議からはじまるだけにひょっとして『ヤア! ブロード・ストリート』みたいな派手で楽しげに見えて実際は異様なまでに地味な作品なのでは?」という懸念を握りつぶしたところでおそらく原典を見ていなくてもわかってしまうほどのテンションの高さで『サイコ』の引用が唐突なモノクロ画面によって現れのけぞってしまう(バッグス・バニーがひとりで勝手に惨殺されるこのシークエンスはその唯一無二の正確さによって映画史に残るだろう。おねがい残ってください、このどこまでも気の利かない感じがいいんですよ……)。そのあとも相変わらずの楽しいドタバタがつづくのだけど半分くらいのところで急にバカバカしくなって不貞寝と洒落こみそうになったのだが(実際に二三十分まどろみながら『魔獣大陸』のこととかを考えていた。数日前によったレンタル店の中古コーナーで見かけて「あ、DVDとか出るんだ」と思って手に取ったのだけど微妙に高くて思わず脳のほうで勝手に見なかったふりを決めこんでしまった。隣には極安の価格で『悪魔のいけにえ2』が。もう持ってる。憤死しそうなほど馬鹿馬鹿しい理由で一作目の入手は困難なのだけど二作目も味があっていい。むしろすばらしい。『エクソシスト』の2、3(特に『3』か?)とか『回転』の前日譚とか意外にもホラー映画には必見の続編が少なくないような気がするが冷静に数え上げてみればやっぱりそれもまた気のせいだった)あわてて起きなおして視聴を続行したところ案の定相当に好ましかった。単に疲れがたまっていたのだろう(前日は国際国立美術館にて"転換期の作法"。最近はどうも落ち着きなく椅子の周りをうろうろしながら「絵画の準備を!」と叫ぶような日々を悶々と送っていたので嬉々としてギャラリー巡りでもしたいものだが暑さに弱く部屋を出て地上に降りるのさえかなわない。大雨のなかゴッホ展に並ぶうすら長い行列の群れの集まりに「ならあんたらなんでデュシャンは無視なのよ!?」と怒鳴る気力ももはやその時点ではなかった。期待していたような絵画作品は皆無だったがとりあえずMila Preslovaの写真を何点か観ることができたのでよしとする。映画を観ながら身体を鍛えたり切れない薪を切りつづけたり掃除できない窓をやたら重いモップで掃除しつづけたりして楽しんだ。映像アートの面白さはいまひとつわかりきらないのだけど無意味に巨大なものはいい、まわりを無為に二周三周するだけでも静かに血沸き肉踊る。国際国立美術館は外観も中身もまったく無駄で構成された建物で、カタログで自慢しているコレクションも小出しにして空間を必要以上に贅沢に使う。近年妙に好きで何時間でも観ていられるような気がしてしまうGerhard Richterの"Abstraktes Bild"が引っ込められていたから苛立っているだけでは決してないが……しかし今回の常設展はデュシャン展の使いまわしも多かった)。反省の意味をこめて正座をして画面に対峙する。コヨーテの不発に終わる大活躍もうれしかった。エリア52での一連のドタバタは何がしたかったかさっぱりわからないが何かしたかったことだけは強烈に伝わってきた。観終わってしまうと意外にもその精神性において『チーム★アメリカ ワールドポリス』を彷彿とさせないでもなかったがジョー・ダンテのほうがブッチギリで煮え切らない感じがいい。つまりこれもやはり気のせいだったということ。