殴り書き


  やはり多少無理して行ってよかった、またもや金沢21世紀美術館にて "Gerhard Richter Painting as Mirror"。日本初の本格的な回顧展だと銘打たれているだけあって年代順に代表作(『エマ(階段のヌード)』や『ガラス板』、一連のアブストラクト・ペインティング……これらが代表作といえるのかは知りませんが)から最新作までを大まかにたどれるようになっている。量は多すぎず少なすぎず。作品数は50点ほどで二時間あればじゅうぶん余裕をもってまわれる(はず)。フランスのCarre d'Artでリヒター展が行われた際に出版された"100 Pictures"という95年〜96年の間の作品を中心にまとめた図録では半分以上をAbstraktes Bildが占めていたし今回の展示でも最新作と呼べるもののほとんどがそうだっただけに(しかも内容はほとんどかぶっていない)まだまだ揃えられるはずなので今度はさながら無限回廊のごとく扉を開けども開けども両側の壁がアブストラクト・ペインティングで埋め尽くされているような展示を実現していただければおそらく開館と同時に駆け込み閉館ギリギリまでのんびりと粘っているにちがいない。広すぎない円形のホールに所狭しと一堂に会する様も圧巻だろう(かつてマティスが当時の数少ない理解者だったシチューキンのコレクションをみずからの手で並べなおしたという話を聞いた。たとえば今回のリヒター展では『8枚のグレイ』というタイトルのまんま8枚のグレイのガラス作品が円形に並べられていて、ぐるぐると室内をまわりながらグレイ一色に塗りこめられた色彩とガラスに映りこんでは消えていく自分やほかの鑑賞者たちやほかの"グレイ"を右から左からときにはかがみこんだり裏を覗きこんだりして「鑑賞」した。リヒターの作品は運動を促す。ひとところでじっと睨みをきかせていても仕方がない、4×2.5mもの大きさを誇る『雲』や254cm四方の『4096の色』は作品を前にしたら慎重深く、ほかの鑑賞者にぶつからないようにしながら後ずさりすることである程度の距離をとらないと全体をいちどきに視界に収めることができないしいずれにしてもそれらは高度不明の空に群がる雲のかたまりであり無数にひしめく色見本のドットの集合でしかない。つまり促したからって何らかの形ある感慨やらイメージに落ち着くわけでもない。アブストラクト・ペインティングからはその形式化された「促し」を剥き出しで受け取ってしまい動悸が早まり体温が上昇するのを感じながらも決して目を離すことができず、身体全体の節々を駆使してずけずけと作品に介入していくことになる。妙に興奮しながら次から次へと作品のあいだを渡り歩くには鑑賞者が多すぎてはいけないしそれなりのスペースも必要だ。アブストラクト・ペインティングばかりが並ぶ部屋はきちんと広めにスペースが取ってあったし中ほどにはソファも据えつけてあった、場内で不思議とちらほら見かけた家族連れもあまり寄り付いていなかったように思う。たぶん同時に行われていた古代エジブト展のついでに寄ったんじゃないかなあ。そして少なくとも今回展示されていたリヒターの作品は予備知識のないふらりと立ち寄ったお客の興味もじゅうぶん引けるわかりやすさと多様性があった(オイル・オン・フォトがもう少しあればよりよかった)。そこまではいいとしてしかしそのわかりやすさの正体、というかそのベールの向こう側があまりにつかみどころがないため一歩踏み込んでしまうと途端に好き嫌いがわかれてしまうような気がする。リヒターには絵画への欲望というようなものがあるのだろうか。どうも希薄に思える。目の前にカンバスやら写真やらがあり、手元には具材があり、そのあいだには絵画という形式がある。ただそれだけではないのか。現にリヒターの「絵画論」はいつだって混乱していて一貫性がない。彼自身も「意味づけはそれが得意な人たち(キュレーターや評論家)がやってくれる」と言っている。作品しか知らなかったとき耳元で、デモコノシト「世界的巨匠」ダヨ、と囁かれておどろいたものだった。だがまあ今回のように大々的な展覧会が開かれてくれるのなら「巨匠」であっても悪くはない……ということさえ思わせる身も蓋もなさがリヒターにはあって、それが魅力でもある)。


  今回ようやくじっくり見てまわることができた21世紀美術館のコレクション(拘束具に包まれて巡る巨大なアスレチックや壁に張り付いたブラックホールや切り取られた空を展望できる半屋外のプライベート空間や水底から地上を見あげることのできるプールなど)も含めて少なからず満足できた遠出だったと思う。お米もお水も旨かった。ミュージアムショップにRichterグッズがあまりなかったのが不満ではあったけど。Abstraktes Paintingのポスターとか絶対あると思ったのに(なぜか『切腹女子高生』Tシャツはここでも売っていた。会田誠ならば『巨大フジ隊員VSキングギドラ』のポスターをぜひ作っていただきたいのだけど……もちろん自室に貼りたいから)。ともかくひと旅行する価値はあるので10月26日までに行ってみてくださいよ。商売っ気がなさすぎのいい街ですよ。