今日書いた前半


  Godardマニアなんて性格が捻じ曲がっているに決まっている、とここ数年仕事場に軟禁状態のネジリン坊は言った。「G……」とわずかに口端にのぼらせただけでたちまち眼窩をへこませ身体中から飛沫をとばす。拒みの身振りだ。最近では"A BOUT DE SOUFFLE"の話さえしたがらなくなってしまった。そもそもの原因は学生時代に夜中VTRでいっしょに観た『ゴダールの決別』だったのだと思う。その前に『D4プリンセス』と『レイプマン』を観たのが悪かったのだ、さすがに後者は半分まででVTRをとめたのだがしかし半分まではいったのだ。そしてゴダール。三十分後、すでに彼の意識はなかった。隣でうずくまっていたのでそう見えた。試みに話しかけてみると若干反応があったので安心した。その後はこちらの記憶もないのだが……ともかく翌朝目覚めた彼はすがすがしい表情でゴダールと決別していたのだった。中原昌也の言うとおり『「ゴダールの決別」でゴーダルと決別』というわけだ。洒落てるね。この言葉を教えてあげると彼が大喜びしたのを昨日のことのように思い出す。そういうわけで『決別』に関しては出会いそこねたまま現在に至るのだけどDVDでストローブ=ユイレの『ロードリンゲン!』を観ていて不意に断片的なイメージというか映像の匂いが想起されその二作品のあいだに吉行由実『イノセント・キス(姉妹どんぶり・抜かずに中で)』の冒頭を置くことでひとり勝手に納得してしまうという始末におえなさを掘り起こしてしまいさあどうでしょうという感慨なのだった。


  『アワーミュージック』(に限ったことではないが)を結局(というかあらかじめ)観ぬバカになるよりは観たバカになるほうがはるかにましではあるしゴダール自身も撮るバカなのだからこれでお相子だ。そして前者をサブカルミーハーゴロと呼ぼう。長いならサブローでいい。キャンペーンは特には張らない。以下明日ゴダマニが本当に性格が捻じ曲がっているのかについて書けたらいいな。