『レイクサイドマーダーケース』をDVDで観た。直接的なきっかけは公開当初に友人のネジりん坊があまりに悪口を言っていたからなのだけど、これが彼の青山真治とのファーストコンタクトである以上ここで下手にヘソを曲げられ『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』やら『helpless』やらに妙な偏見を持たれ無視を以て応対されることになってはかなわないので「原作が悪かったんですよ」と読んでもいないのに適当なことを並べ立てて取り繕おうとしていたのだが(なにせ「お受験」て……。情念というか熱意だけは買ってもらえましたが以後彼からは『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』みたないわゆる「地雷」しか薦めてもらえなくなってしまった。しかも「きみも地雷を踏むべきだ」「金をドブに捨て虚脱感に身を任せろ」というお説教付きで。お返しにaiko主題歌で絵本が原作とかいう『ジョージ・マイケル 素顔の告白』を強烈プッシュしておいたがもう観てくれましたでしょうか彼は)実際に観たらやはり原作が悪かったのだなあとしか思えず映画自体は下手したら傑作だった。ネジりん坊にそうメールしたら納得しなかったので勢いで「つまり増村の『盲獣』と『CURE』とサム・ライミなんですよ!」と送ったらそれきり連絡がこなくなった*1。怖いので深追いをしていない。ここを読んでいたら連絡ください。謝りたいことがあります。ところでライミの『ギフト』を何ヶ月か前にDVDで観てとても面白くあらためて監督は映画のうまみというものを知る男だなあと感心したのだけど、舞台の閉鎖性や水死体を巡るイメージ、また「予知能力」などこの映画との接点は意外に多い。しかしそれよりフレームへの意識、収めてしまおうという青白い情熱(意志)が全体から立ちのぼっていて、それがライミ……というよりハリウッドへの強い接続と抵抗を感じさせた。それでも「下手」はしていないわけで、やはりモティーフの似ている私立探偵濱マイク『名前のない森』のほうが好きではあるのだけど森の奥に立っている濱マイクの顔をした樹よりは湖に沈む死体の見開かれた瞳のほうがいい。巧みな画面構成で美しく光をとらえながらひたすら薄っぺらなまま表層にとどまり、まなざすものとまなざされるものが噛み合わないまま様々な光が画面の隅に現れては消えていく。その明滅を他人事のように眺めつつも役所広司の心身の動きとそれに伴う目を覆わんばかりの「展開」にいちいち半ば強引に付き合わされてしまう。その乖離の狭間に澱のように(作品内)世界に対する違和感が溜まっていって、それがこの映画をミステリではなくホラーの側に引き寄せているのだと思う。そういうところも『ギフト』っぽいかも。いやもちろん手触りはちがうのだけど……ともかく青山監督が本気でアメリカ映画を作ろうとしたのは間違いない。むしろいま日本映画こそがアメリカ映画たりうるのだ、ということを示そうとしたのか。どうでもいいか。

*1:ちがった。書いてから思い出したが「通俗性のあり方において『害虫』とは真逆のベクトルの作品で、青山監督はかなり慎重ですよ!」とかいう感じのメールを送ったあとから連絡が途絶えたのだった。