チェルフィッチュ『目的地』をNHKで途中から観た。放映することは事前に知っていたがうっかり忘れるところだった。ひとまずこの作品に対していま総体的に言えることは何もない。客席には張りつめた停滞感が垂れ込めていてあまり雰囲気がよくなかったように感じたがとりあえず芝居そのものは文句なしにおもしろく、いちいちが腑に落ち、また引っかかりながら反復する役者たちの動作や言葉やそれら全体の抑揚に思考の一部を明け渡しよそ見をしながら成りきらないイメージの、その成りきらなさを弄びつつ抱え込んでいた。ところで言うが、おまえの見ているものなどろくなものではない。それはおまえが見ているからろくなものではないというわけだがではそもそもはろくなものではないというわけでもなかったのかというとそうではなくそもそもがろくなものではなかったのだがおまえが見ているそのそもそもろくでもなかったものはそのろくでもなさにおいておまえに見られたろくでもないおまえに見られているそもそもろくでもなかったろくでもないものなのだ。操作することはやめよう、演出なんてまちがってもするな、おまえの考えたことなどせいぜい意味にすぎない、つまりは世界からあらかじめ放逐されているのだ、ただ世界の意味が世界なのであり意味の世界が意味であったことなどかつてない、とっととやめてしまえ、過去のおまえがおまえを少しでも楽しませるならおまえは目の前にあるものを見すぎているということだ、また過去のおまえをおまえが恥じるならばおまえは目の前にあるものを見ることなくその向こうにあるものにそのあると思いこまれたものにいたずらに形を与え見ているふりをしているだけのことだ、おまえは依然愚図で未熟な概念のつま先にすぎないのに、昨日より今日がましだとおまえはいったいどこに立って言っているのだろうか?言葉が言葉を呼ぶ。動作と視線が擦れちがう。時間と空間がちょっとずれる。関係の水位が生まれる手前まで引き延ばす。権力を剥き出しのままばら撒く。権力という語彙を覚えたばかりの白痴が駆け寄ってくるので足を引っかけて転ばせる。その隙にみんな去る。暗転。