クイズの時間です
老朽化した水道管やガス管が剥き出しになった壁面、壁紙のところどころがめくりあがり、もはやほとんど用を果たさなくなった電気のスイッチの周囲には手垢のような黒ずんだ生活の痕跡が寄り添うように付着している。この部屋の中央に老婆の死体が転がっていたらひとはまずどんな反応をするだろう。天井がしなり、ぶらさがった赤茶色の鎖の束はいまにも地面に触れようとしている。とうに時間は解放され、空間を刻み、風もないのに忙しなく開閉をつづける高窓のへりを丁寧に縁取りながら、老婆の殺害を、めいっぱい引き絞られた鋭利な毒薬で背骨を粉々に撫で付けられるその一部始終を滞りなく遂行させしめた――そこに意志は介在せず、ただ断乎たる視線が生冷えの床に拡散している。老婆は死んでいる。そのように見える。指は伸びきり、肘が外側に曲折し、頭髪を紫色の斑点が侵食している。動かない。手を近づけて呼吸や体温の有無を確かめるにはちょっとした踏ん切りが必要だろうか。住み慣れないでもない自分の部屋の中央に誰かが倒れていて、それが死体かも知れない――両属的な不安定のただなかにいる老婆の、いや、老婆かどうかも判然とするかどうか、そもそもその顔には見覚えがある?むろんあるはずはない。無造作に投げ置かれたエナメル質の痩せ枯れた手荷物をぼんやりと認識するのみだ、それが手一杯のはずだ、酸味がかったあまりの異臭に、不穏な空気の肌触りに、あるいはドアノブから伝播する先取りされた予感の満ち引きに取り巻かれていてはまともに息だってつけやしないだろう。
奇妙な一致はところどころで起こる、数限りない不一致を視界の外に追いやってまでも、じゅうぶんそのことを知りながらもなお迫り、また迫りを身に引き受け、あるいは自ら引き寄せたのかも知れず――たとえば同じ列車、同じ客室、同じ相席者、また同じ死体があぶれ、同じように発見され騒がれ三面記事を飾り、同じカレンダーには同じスケジュールが同じペン先で書き込まれ、同じ泡が弾け、同じ窓が揺れ、ふと見れば同じ屋根から同じ猫が滑り落ち、同じ悲鳴をあげ、しかし同じ着地に同じ安堵のため息をもらすのだ。
死体は発見者によってただちに然るべき機関に通報された。然るべき迅速さで然るべき連隊が現われ、然るべき儀式が執り行われた。然るべきであるという根拠のみで考えうるあらゆる障壁があらかじめ取り除かれ、それが目指され、また大部分がつつがなく達成され、無事に死体の処理がなされた。老婆が死んでいたのはアパートの一室だった、第一発見者はその部屋の住人で、賢明にもすぐさま、まったく「現場」に手をつけることなく警察に通報された、少なくとも第三者にはそう判断された……。
正解者には特製歌留多を差し上げます(『ラストデイズ』観た。昨年『おわらない物語』を観て、何人目かのアビバが、というのはこの映画は主人公のアビバという少女を8人の役者がそれぞれ分け演じるのだけど、その中でも最も短い出演時間ながらかなり強烈な印象を残す美しい少女(おそらく少年でしょう)演じるアビバが森の中をさまよう場面が延々と続くような映画はないかなあ……と思っていたら『ラストデイズ』はまさにそういう映画だったのだ。ナーヴァナ(でしたっけ?)には1ミリたりとも思い入れがないので映画館の客層にはおどろいたけど、この光景最近見たぞ……と思ったら『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観に行って入れなかったときでした、首をひねりながら映画館のポスターに目をやったら「浜崎あゆみ絶賛」の文字が……奇しくも主演は同じMichael Pittじゃないの……。この映画ではつねに何かが動いているし何かが聞こえている。それは冒頭のたき火の前で暖をとるシーンから明らかだろう。炎は一定の形をとることなくパチパチと音を立てつづける。それだけなのに目が離せないし関心が持続する(『Gerry』に同じ場面があったせいでもあるけど)。さらに映画の中に次々と現れては消えていく電話帳のセールスマン、モルモン教徒の双子、中国人風奇術師の話、The velvet underground、BoysⅡmenのビデオ、そして家の周りを覚束ない足取りでうろうろしながら口にする主人公の無意味なつぶやき……ただ、もうひたすらに見て、聴く。それに留まる。伝統的なハリウッド映画とはまったく異なるのかも知れないが、しかしこれこそが他の何でもない(そして決して括弧付きではない)アメリカ映画ではないかと思ってしまう。もちろん誤認だろう。でも『リリス』とともに勝手に殿堂入りにしてしまいたい気持ちで満たされてしまうのも確か。ところでなぜいきなり『リリス』がDVD化してしまっているんでしょうか誰か教えて……。言い忘れた、アーシア・アルジェントはやはり最高)。