《さて、自然は、人間が地上のあらゆる場所で生活できるように配慮したが、しかしまた自然は同時に、人間が好みに反してでもあらゆる場所で生活すべきことを専断的に望んだのである。しかもこの「すべし」は、同時に義務概念を前提して、この義務概念が道徳法則を用いて人間をそのように拘束するというのではなくて、――自然はこの目的を達成するのに、戦争を選んだのである。(……)戦争そのものは、なんら特殊な動因を必要としない。戦争は、むしろ人間の本性に接枝されているように見え、しかもそれは、なにか高貴なものとされているように見える。そうした理由から、戦争の勇気は、戦争の最中においてだけではなく、戦争を開くためにも、それだけで大きな価値があると判定されたのである。実際、戦争はしばしばたんに勇気を示すために開始されるのであり、したがって戦争それ自体のうちに内的な尊厳が置かれるのであって、哲学者たちですら、「戦争は邪悪な人間を取り除くよりも、かえって多くの邪悪な人間を作り出すから、いとうべきだ」という、かのギリシア人の格言を忘れ、戦争をなにか人間性を高貴にするものとして賛美するのである》


  タイマーにてセット起動された片霧烈火『空の軋みと歪める世界の無き、声』によってもたらされたと思しきじんわりと粒立ち密度を増しながら身体のなかを遊覧する気怠さに持てあまされつつベッドから這い上がり音楽をDead Kennedysに切り替えてしばらくぐったりしていたら元気が戻ってきたのは4月1日のことだった。デッケネって元気が出る。とても気のいい連中だと思う。"Kill children"だとか"Nazi punks fuck off"とか……テレビの前でいくら待っていてもこういう音楽がいっこうに流れてこないのはなぜなんだ!?と本気で疑問に思う今日この頃。あらためて聴いたらなんかRuinsみたいだ。この前DNAのラストライヴのCDを買ったんですが一曲があまりに短くて盛り上がってるのか盛り上がってないのかよくわからないのです。ところで『中上健次[未収録]対論集成』なるものが出ています。アホほど高価いのですが柄谷行人の案で批評を取り上げた回の『群像』創作合評や絶対必読の『戦後文学の「内部」と「外部」』も掲載されている。その他いろいろ。読んでいるとちょっと対談しすぎのような気もしてくるが……。まあ読んでみたら。