なぜか配達が遅れていた『ぱにぽにだっしゅ!』のDVD第6巻がようやく届いたので第22話のラスト(妖怪つるべ落としとともに教室の天井から落ちてきた芹沢茜と一条さんが『ゲゲゲの鬼太郎』エンディングよろしく跳ねたり頭を付き合わせたりする)にふたたび泣いてしまいながら部屋に散乱したCDや書籍を手作業はほどほどにその大半を脳内で整理していた(最近はHDD録画したアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のOPを観ては泣くという支離滅裂ぶりを反復しているのだった。あとこの前深夜にハルヒの録画を見終わったあと落ち着かない気分でチャンネルを替えていたら偶然に突きあたった映画『くりぃむレモン』にもさりげなくしかしけっこうな激しさで揺さぶられてしまった。ロングショットとその静かな移動と人物を焦点化しない寄りのカットで構成されていて何となくジャームッシュを連想したのだけど(とはいえ『天才マックスの世界』の凧揚げサークル創設の場面で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を思い出すほどのいい加減な記憶の持ち主なので連想すると同時に一抹の気まずさもおぼえたのだけど。そう的外れではないとは思いますが……)、小道具や状況設定など明らかに現代のものでありなお撮り方によってそう見せることなく懐古的な空気を淡々としかしやや無理を伴いつつ立ち上げながら兄と義理の妹の禁断の恋と逃亡劇という箱庭世界の一種のメルヘンを破綻なく成立させていることに感動さえおぼえた。公開当初は「これはいったい誰向けなのだろう」と訝しんだものだし実際に(途中から、しかも「ながら見」で、ちゃんと正対したのは三者面談のシーンとラストの妹がトイレに行っている隙に買ってきたソフトクリームを不意に地面に置いて兄が全速力で画面の奥に走り去るロングショットから兄の不在を確認して笑みめいたものをうっすらと浮かべる妹の表情のアップまでの一連のシーンだけなのだけど。表情を構成する各パーツがふやけたような女優さんの顔はとてもよかったしここで映画が終わることに感動もしたけど思い返すとなんだか『害虫』のラストにも似て微妙に承伏しがたい複雑な感情(感傷)をも抱かされる。たとえば『ドッペルゲンガー』のラストはその身も蓋もない感じがいまはむしろ好印象だ)見ても「で、どうなん?」としか思えなかったし、いわゆる「ネタ」は見た限りではほとんど皆無だったのだけど、それでも山下敦弘監督がきっちりと職務を全うしようとしていることは画面から漲るほど受け止めることができて、しかし出来上がったのは変てこな映画というかちょっと地に足のついたリアリティのようなものを超えてしまったような、でも必ずしも映画という枠に寄りかかっているのではないリアリティがあって……得したようなそうでもないような気分に陥った)。


 で、整理の経過を簡単に。BRUCE HAAK『The Electric Record for Children』は声とおしゃべりと電子音とノイズによる場違いなエキゾチズムに彩られたひたすら楽しい子供のためのラウンジ音楽で脳みそが蕩けそうになった。聴いた瞬間にヤン富田だ、DOOPEESの原点はここにあったのだ!と思ったのだけど例のごとく自分以外の全人類がすでに常識として囁きあっていることに違いないのでとりあえずKING RECORDマジでグッジョブと親指を突き出すにとどめておく(一条さんみたいに)。いや、もうひとつだけ。この全編に漂うお遊戯感覚は初期のDaniel Johnstonにも通じるものではないか。たまたまそこにあるピアノで弾き語り、たまたまそこにあるテープで録られたという感じの音質の悪い、無垢な……聴いているうちについつい一緒に口ずさんでしまうし身体を動かさずにはいられなくなる。数年前にロス・アプソンで買ったV.A.にcostesやイシマルーらとともに彼の"Grievances"が収録されていて、そのときは知らなかったんでどこの馬の骨とも知れないなあという感じだったのだけど、それでもこの曲の存在はあるひとつの心の支えになってはいて、定期的に聴いては安心し元気づけられたりもしたものだった(が安心し元気づけられたくて聴くわけではなかった)。ところで聴いた感じでは二枚組の初期レコーディング集に収録されているのとは違うヴァージョンのようなのだが、町山智浩氏によると彼はかつてダビングという技術を知らずにテープの発注分だけ新たにテレコの前で演奏し録り下ろしていったそうなので(つまり30個発注があれば30回アルバムの曲をフルで歌う)そのひとつなのかなあと思う。V.A.収録版の方が音のバランスが悪くテープが軋んでいる感じが「テープ音楽」として好きだ。全世界の幼稚園で彼の歌が流れてくれればよい。