ある日。よし、The Peter Brotzmann octetの『MACHINE GUN』でも買うべ……と意気揚々amazon.co.jpを覗いてみたらアホほど高価い。そんなものか……と一度はショッピングカートに入れてはみたがやはりこれは逆説的な神の啓示であると思い直してカートから外し胸に決意を留めおき数週間後に別の用事で難波に寄ったときレコード屋でちょいと探してみたら1000円以上安い価格で新品が売っていたので高橋悠治の『YUJI PLAYS YUJI』もいっしょに買えた(そして次回Paul hindemithとPendereckiを買うことを誓う。わかってもらえると思うけど店内に足を踏み入れるなりcontemporaryコーナーに直行してその規模に見合った時間だけぶらぶらと商品を眺めてなんか今後手に入りにくくなりそう……とわずかでも頭を掠めたらもう興味を惹かれた証拠ですでに手が伸びているし財布の残金も計算済みだ。というかそんなもの手に入りにくくなりそうなものばかりに決まっているのだから躊躇しているひまなどないのだけど。むろん買って後悔したディスクはない。物音最高。ビープ音どんとこい。おっさんのうなり声はなんか泣ける……これはJohn cageの"Sixty-two mesostics re merce cunningham(Frammento)"で決まりでしょう)。元が自主盤であるだけにジャケットは戦争風刺画のような簡素なマンガで印刷が全体的に掠れていて、裏ジャケには手書きのフォントが不安定に犇めきあってメンバー名や曲名を示し、ジャケット内には強面のメンバーたち(髭率高し)が顔を寄せあうモノクロ写真が何枚もつづく。そして音は頭の一音目から最後の一音まで暴虐の限りを尽くす。これではNaked Cityなど子供のお遊戯に聞こえてもおかしくない(まあ別に聞こえないが。聞こえるならこの盤を聴くまでもなくはじめからそう聞こえていたのだ、ということ)。盲滅法に破壊するわけではなく、かといって対話的な応酬があるわけではない、管が悲鳴を上げながら絡み合い、弦が刻んでちぎり、打が穿いて囲み、鍵が地団駄を踏みながら通り過ぎていく。群れになったかと思えば瞬く間に弾けそのまま音の塊が一斉に降り注ぐ。まったくタイトル通り。そして様式の美学も決して忘れない。もうもみくちゃ。こればかり聴くのはなんだけど一度は通過しておいてもよい。余談。そろそろFrank Zappaの曲がアニメかゲームに使われてもいいと思う。想像したらとても楽しいじゃないか。