のりぶみ≠そくぶん

 とりあえず本日金沢より戻りました。土曜日の夜から日曜日の昼あたりまでかなりひどい雨に遭遇して、特に土曜日は旅館から自転車を借りてきていたのでかなり大変ではあったけど、とにかく内容には満足、そして感動。スケジュールは予定通りで、二日目は午後から美術館のGhent展とコレクション展示でコーヒーの粉やら植物やら泡の星地図やらピンク色やらにまみれて一時間ほどすごしてから立ち去った。

 まず初日は『文学賞殺人事件 大いなる助走』から(しかしその前の『華麗なる追跡』『トラック野郎』も観たかった!前者は監督たちのトークを聞く限りでは『直撃!地獄拳・大逆転』+『0課の女・赤い手錠』みたいな感じなんだろうか……といろいろかなり楽しい想像をしてちょっと気が滅入ってきてしまった)。館内に座るとやがて入り口の反対側の扉から鈴木則文監督と柳下毅一郎氏が現れ、「前のも観た?次はぜんぜん違うよ」とか客に気軽に声をかけつつ雛壇状になった客席の上の方へ、そこでたまたま(柳下氏のmixi日記にてほのめかされてはいたけど)来場していたいわば「いま世界でもっともこの映画を見せてはいけない人物」であるところの某中原昌也氏と挨拶を交わし、まもなく映画がはじまった。原作は言うまでもなく筒井康隆で、かなり原作に忠実に作られていると思う。パーティで参加者全員が土下座する場面(TV番組『めちゃめちゃイケてるっ』でかつて何度か見かけたことのある企画で、天上から際限なく降りつづける無数のタライへのいっさいのリアクションを役者から排除することが絶対条件となった連作的なドラマシリーズを彷彿とさせたのだけど(最後に見たものは継続と蓄積による疲弊かサービス精神の発揮か(バラエティというかこの番組が陥りがちな傾向ではあったが)おなじみの視聴者に向けたメタメッセージ的な振る舞いをわずかに滲ませていて嫌な感じを受けないでもなかった)これはぜひともじゅうぶんな予算ときちんとしたスタッフで真剣に商業映画化すべきだったのではないかと思う。というか実現性はともかくいまだにかなり取り組み甲斐のあるよい企画なのではないだろうか。むろん絶対におちゃらけてはいけない。鈴木則文作品はどんなに破壊的なギャグや信じがたいほどくだらない下ネタが満載でも決して誰ひとりおちゃらけてはいないし、底も抜けてはいない。基本的に人間賛歌ではあるが、人間の内面的過程とやらを描く無謀からは遠く隔たったまま、情動の迸りを、衝突を、乱痴気をカメラに収めていくだけだ)なんかは迫力というか視覚的インパクトはあったのだけど原作で読んだときの方が圧倒されて面白かったように思うし、直本賞の審査委員を射殺してまわるところも、由利徹の最期の歌唱はひたすらすばらしかったが、同様でちょっと間延びした感もないではなかった。しかしそんなことは些細なことで、同人誌の合評会をはじめとしたスラプスティック描写に関しては原作の文章表現とくらべても劣るところがなく、文壇バーでビール瓶を振りまわすSF作家=筒井康隆ルサンチマン溢れる演技には呆気にとられたし、ラストの部分にオリジナルの要素をつけくわえることで原作に残っていた陰惨さは薄れ、身につまされる感じ、わびしさや虚しさが前面化していたように思う(佐藤浩市が狂気に陥りながらその勢いで「大いなる助走」という小説を書き殴り出版社に持ち込むくだりなど小説だったら蛇足でしかなかったろうが「私憤以外の文学などあるのか」というセリフも含めて実際に役者が演じ、叫ぶことでユーモアと裏腹の悲惨さが際立った。ここに文学青年だった監督の想いもこめられていたという)。そして何より役者が演じる場所を得て、のびのびと演技を謳歌し、また演出とカメラがそれを点と線と面を駆使してグッと抑え娯楽作として焦点化していたのが何より大きい。泡を吹きながら熱弁する『群盲』編集長=山城新伍が見られて本当によかった。

 長くなってしまったのでたぶん明日つづきを書きます。