SUMMER DAYS [ AND DEBUG NIGHTS!! ]

 金沢則文祭りが終わって一週間以上が過ぎ、記憶イメージも徐々に鮮明さを失いつつあるが『シルクハットの大親分』の感想がいまだ書けずにいる。どんな見苦しいものであれ形にしたいし、とりあえず報告に一区切りをつけたほうがいい……書くことは決まっているはずだし書けることなど貧しくきわめて限られた方途しか残されていないのは確かなのだが。だからこそ、ということなのだろうか。一行書いては霧散し、三行目は二行目に埋め込まれ、四行目はそれ自身を解体しながら素知らぬ顔で五行目になりすまし、もはや六行目は行方知れずで、それゆえいつまでたっても七行目をはじめることができない。これって恋なんでしょうか。きっと、そうか。

 たのみこむなるサイトで『OBLIVIONxbox360版の日本語化を頼みこんでいるようだけど、これと『THE iDOLM@STER』が参入すればもはや躊躇させるに足る様々なデメリット、鬱陶しさを差し引いたところでxbox360を買わない理由はどこにもなくなってしまうじゃないですか……(ちなみにPC版『OBLIVION』の日本語化はわりとどうでもよかったりする。もちろん日本でこのシリーズが大流行してweb上を大量の日本語MODが席巻するような事態が期待できるなら大歓迎だがそれは夢の見すぎというものだろう)。ハードがハードなだけに予断は決して許されないが、ともかく購入検討の筆頭には置いておくことにする。そんなにゲームに時間を割く方じゃないし、むしろ音楽や読書、映画との兼ね合いの悪さに日々悲鳴を上げているほどなのだけど、でもなぜか買ってしまう(いまさら発売日に買ってじゅうぶん楽しんだにもかかわらずなぜかというか例のごとく二章を終えたまま中断していた『水夏A.S+』を再開したりしているし。季節だからという愚かしい理由で。あと最近は比較的アニメを観るようになったのでそちらに時間を取られるというのもある。とはいっても数は絞っているし絞らざるを得ないし自然と絞られてしまうものなのだけど。『シムーン』はいま放送開始より黙って見つづけてきた者たちだけが密やかな喜悦に身をよじらせていることだろう。こういう地味な作品を毎週区切ってだらだらと半年間観つづけることがいいのだ。主要キャラクターが消失するくらいだからけっこう急展開なのかも知れないとも思うのだが『シムーン』では関係ない、あくまで地味に、世はすべて事もなしといった態でひたすら鬱展開を縫い進んでいく。シムーンシビュラ(シムーンに乗りこむ巫女)たちが個人的な叫びやつぶやきを抱えこみ、くすぶらせ、漏らし、また散らしながら次々と点景化していくのが「だいすきだ」とやはり上戸彩マインドが頭をもたげてくる感じがたまらない。画面がくすんでいるのだ。すばらしい。ゲーム化されるらしいが『ベルデセルバ戦記』みたいな雰囲気でシムーンを操縦できれば絶対買うのに、と思った。あといまからでも遅くないのでベルデセルバのサントラを出してください)。呪われているのだろうか。