物語終了ののち、全員病死

 メールでその報を知り、数時間前にすでに届けられてたその報せをようやく受け取り、「ふむ……」と瞬間思考が硬直しつつもひとまず瞑目し、しかしともかく列車の時刻に遅れぬよう薄暗さを整えはじめた露天アーケードをときおり駆け出しながらも基調は早歩きで一定のペースを保ったまま突っ切り、思いのほか早く駅に着いたのでプラットフォームの柱に背中を預けて飛浩隆『グラン・ヴァカンス』を残り四分の一程度のページの隙間に挟み込んであった出版社の新刊案内を目印に開くとたちまち酷薄に光り輝く空気の粒がこぼれ落ちてくるように感じた。

 おそらくは毎年のことだろうがただ中にいると「なんだか今年はビッグネームが立て続けに……」と感じる。しかし感じるだけでそれが具体的に誰だったのかはほとんど思い出せない。レム?そうか。シモン?昨年だ。デリダ。昨年?いやちがうか。サイードとどっちが先だったか、先立ったか?ソンタグ。いつだった……。去る者日々に疎し、というわけではない。生がそうであるように死もまた流動的だ。生に意味がないのに死だけに意味があってはたまらない。物故者と面識もなくその機会からも遠く、ただメディアを通してのみ触れえることができた者としては白々しく「またこの世界が少し退屈になったのは事実だ」と呟くほかないのだろうが実際に口にする必要はないしせいぜい「いうほかないのだろう」で留めおくのが賢明だ、そしてそれがたとえ事実だとしてもそんな事実に奴隷のごとく付き従ういわれなどない。