「あえて」など必要ない。黙ってやれ。やらないなら黙っていろ。言語と行為の関係がこの二択に収まってしまうならば誰も苦労はしないがそのことを差し引いてもその物欲しげな面持ちを粉々に粉砕するにはじゅうぶんだ。「いまさら」だっていい、だって「いまさらMozartか」とか言っている輩もいるくらいだ、その種の身勝手に馬鹿正直に付き合ってもしょうがないじゃないか(このまえ野村美月『"文学少女"と死にたがりの道化』を読んだのだけど登場人物たちのあまりの身勝手な行動と理屈に中盤のいわゆる「山場」近辺でよもや憤死寸前を通り越して薄ら寒ささえおぼえた。とにもかくにも天野遠子の好ましさのみで読み進め結果的に悪くない作品ではあったし続編にも興味をおぼえるが……しかしこの手の身勝手さはあくまでジャンルというか媒体や読者の継起性が許し、支え、保証するもので(しかもそれは錯覚である可能性も大)ここぞとばかりに嘯かれる現代性だとかもろもろのテクノロジーのもたらす希薄さだとかとは無関係だと思う。そういうものをお求めなら書籍の小説などという遅く、鈍いパッケージなどさっさと手放すべきだろう。「天才美少女作家」の設定とかこの辺気にならないものなのか)。先日mixi詩人なるものの存在を見出し、つまりちょっとした油断というか認識の甘さがあったことは否定しえぬものの出し抜けにその存在に問題として直面し、直面したことでそれが問題であったことを意識したわけだが例のごとく問題として意識した瞬間にその存在は問題ではなくなっていたというか失効、解決、霧散してしまっていたという次第。ただやるせなさと疲労感とたぐり寄せてほしいといわんばかりの廃残処理のひも先が手許に残されたというだけのこと。以下明日以降。

 小説について覚書など。岩波文庫でレッシングの『ラオコオン』が出ている。これって復刊なの?文庫化していたと思わなかったもので……先日古本屋で見かけたけど買わなくてよかった。あと来年にはウォーの『思い出のブライズヘッド』というのが出るようだがこれは吉田健一訳『ブライヅヘッドふたたび』の新訳ということでOK?後者が復刊すると聞いていたけど単に時期が重なっただけなのだろうか。困る、というほどのことではないが、迷う。『シンセミア』文庫版読了。その前に大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』を読んでいてなんとなく阿部和重と共通するものを感じていたのだがそんなことはどうでもよくなった。どうでもよくなるほどの傑作、というわけではなく。まだまだ短すぎるので何の判断をも下すことができないのだ。ところで『芽むしり 仔撃ち』は現在こそ若者に読まれるべき本だろう。一刻も早くDS文庫化すべき一冊だ。本当に「ライトノベルしか読まないひと」が存在するかは不明だが(web上ではそうとしか思えないひとをよく見かけるし学生時代の友人にもいるにはいたが実はこっそりカルヴィーノとか読んでいるんでは?との疑いも捨てきれない。だって読まない理由がないじゃないか)、しかしもし仮にそういうひとが存在するならばぜひともお薦めしたいし絶対にのめりこむこと受け合いだ。その種子は隔世遺伝のような感じで現在に確実に受け継がれている。先日このページに「田中ロミオ 大江健三郎」のキーワードで検索してたどりついたひともいたようだし……その組み合わせで何を意図していたのかは不明ですが。