本当に『鏡の法則』ってやってくるもんなんだなあ……ひたひたと、微弱な気配はその濃厚さを増し、旋回しながらにじり寄ってきていると思えばある日いきなりふっと跳躍して鼻頭が擦れあうほど間合いを詰め、半信半疑なのかちょっとはにかみ、「ねえ、知ってる……?」とキン肉マンに接するナチグロンのようにおそるおそる、科を作るかのような所作でスキンシップを試みる。ここは曖昧に肯首しておくほかなかった。否定すれば嘘になるし、かといって無闇に肯定してしまったら話題が膨らみ事が継起しかねない。そうなってしまってはもはや穏当な言葉でその場を凌ぐ自信がないのだ。程度は問わねど必ず誰かが傷つく羽目になる。出荷される羊の毛並みにかかわるというものだ。というか面倒くさい。背筋を伸ばしながらも頭を屈めた不機嫌さこそ我が身上。そういう次第でその翌日、コピー機の前でホッチキス片手に作業にいそしむ小姓同然の麦畑にひしめく地割れ柄のぼろをまとった羊飼い夫人の姿を目の当たりにしたというわけだった。んで、今日は中村一義の「永遠なるもの」がときおり七尾旅人とスイッチして、あるいは同時に、互いが互いを縫い込みあうように頭のなかで明滅しはじめてきた。仕方ないので週末に受け取れるようにamazonで『ヘブンリィ・パンク:アダージョ』を注文してWolf paradeと光収容の倉庫とApril march & Los cincos(このミニアルバムがこんなにビーチ・ボーイズっぽいのは誰のせいなの? 1曲目はイントロからHeavy blinkersみたいで嬉しいんだけど、自転車のベルの音なんか入っちゃってますし。後半にいくにしたがってまとまりがなくなってきていい感じ)で気を紛らわせる。

 ところでamazon七尾旅人レビューには開いた口がふさがらない。過去のすべての音楽が彼のためにあっただとか天才と呼ばれたり自認するミュージシャンは数多いるが七尾氏のアルバムの前で彼らにいったい何が言えるのか?とかなんかそんな感じの文章がすずなりにぶらさがっていて……そういうレビューが書いてありそうなものは周到に避けていたつもりだったのだが、うーん、気持ちはわからぬでもないが、それをレビューの場で披露してどうなるというのだろうか……。それでも佐々木敦仲俣暁生の双方が絶賛するもの、その手管にかかるものよりかはなんかこちらもわずかなりとも積極的な気持ちを抱けそうな予感くらいはする。錯覚というかたまたまだろうけど自分が興味を持ちかつ佐々木氏が帯なりライナーなりで推薦の文を寄せているディスクに限って値段が高めな法則がここ数年断続的に発動していてちょっと困っているのだけども。