吐血サービス入りました

 別のところですでに述べたことですが、重ねていっておきたいことがあります。それは青年期以来、幸福のときも不幸のときも、私が「自殺」は唯一の解決策であり、私の一切の問いに対する完璧な答えであると思わずに、一日たりとも過ごしたことはなかったということです。この観念、というよりむしろこの妄執が私の生きるよすがであったことを、私は一瞬たりとも疑ったことはありません。望みのときに死ぬことができるという確信、ここにはなにかしら私たちの気持を奮い立たせ、くすぐるものがあり、そしてそれは耐えがたきものを耐えうるものに変え、無意味なものに意味を与えるのです。幸か不幸かは知りませんが、生存を正当化しうる客観的理由など見出すべくもないのです。にもかかわらず私たちが生き、かつ生きながらえてゆくことができるのは、日々の啓示と化した普遍的な無益さという明白な事実が、私たちの裡に存在する秘められた力を奮い立たせると信じているからであり、そしてまたこの事実が、虚無への挑戦、死に対する勝利であり、幻想などいささかもあずかり知らぬ勝利であると確信しているからなのです。

 911FANTASIA明日発売するアルバムを今日手に入れることにはなんの意味もない。一日早く聞けるだけで、二日でも三日でも大差はなく、たとえそれが七尾旅人のアルバムとしては4年ぶり、単純なリリースとしても3年ぶりにして三枚組の大作『911FANTASIA』であっても同様なのだが、とりあえず不意の接近の折りにふとした好奇心に駆られ無事接触を果たしたので手の内に収め帰ってきた。で、とりあえず一枚だけ、と思って聴きはじめ、1トラック目"「お話ししてよ」"での2051年における孫と祖父の会話をぼんやりと受けながら「孫の声を七尾氏が演じるわけではないんだな……」とかどうでもいいことを思っていると2トラック目の"荒野"に面して中途半端にやめることができそうもないことを知らずに頭頂から漏れ出た呻吟とともに予感し、そして目下流れているのは三枚目6トラック目"少し浮かれて"。このアルバムの前にはもはやいかなる誤解も存在しえないだろう。過小評価も過大評価もない。そのまんまだ。それがわかればもう聞く必要すらない。いたずらに浮上することなく長い日々をこの音楽に捧げた七尾氏に最大限の敬意を表しつつ旧譜を聴き、またこういうのつくってくんないかなぁ……といつ到来するか二度とないかも知れないし意外に早いかも知れない新譜、「あたらしいうた」を待ちつづければいいのだと思う。立ち現れては去っていく息絶え絶えなる自動律の響きはしかし二度とその痕跡ごと掻き消えてしまうことはないのだから、まあ、安心はしていられないけど心細くはない。

 で、もう寝る時間なんだけど、あと3トラック残っている。困った。何はともあれ膨大で、しかも濃密というわけではないのではじめは圧倒されながらやり過ごすほかなく、個別に内容を吟味する余裕はなかったのだけど、ともかくタイトルに「911」と冠されてはいるもののその記号自体は作品全体を刺し貫く物語の契機にすぎず、特権化するどころかむしろそれを解消しいったん霧散させ具体性へと引き戻す作用を、少なくともその磁場にこのアルバムが振れていることは感じることができた。そしてようやくトイレでエッフェル塔建立に対する声明に目を通しているところで最後のトラックが途絶えた。やっと寝られます。とりあえず。