近所にある四日ごとにすべての商品と価格が入れ替わる全品均一単価(220円〜5,000円くらいまで)の古本屋であるところの天牛書店で二週間ほど前に双葉社吾妻ひでおコレクション一揃いが世間の相場は知らないがかなりの安値と思える値段で売っていたので(しかも二セットも)いくつか持っている本との収録内容の被りはこの際無視して買ってしまい今日は6巻目『陽はまた昇る』を読んでいた(エッセイ漫画から自伝漫画から自身を題材取ったメタ漫画まで吾妻氏自身がメインとなった作品を集めた巻。ぼろぼろになりながら「いいってことよ/作品が生きれば/オレなんかどーなったって」とカップ酒をあおる吾妻ひでおの姿を見てふと何か記憶に触れる部分があったので本を置いて目を閉じ軽く探ってみたらすんなりと岡田あーみんが出てきた。なんか真髄を垣間見た気がする)。で、当然ながらコマのあちこちにSFが出てくる。SFの話やSFの本も出てくるがSF自身が走ったり汗かいたり火を噴いたり密かに産声を上げたりするわけだ。SFネタもてんこ盛りなのだろうが滅多に固有名を主張してこないので造詣の深くない人間でも普通に漫画としての面白さとして処理できる。自伝やSF大会ルポになると作品名や人名で溢れかえるのだけど、それさえも吾妻的漫画世界の一部としてすんなりと読み流せてしまうのはさすがだ(あらためて『失踪日記』に入っているアル中病棟の話はエピソードや人物たちの強烈さが際立ちすぎていて漫画としてちょっと弱いなあと思った)。

 ところでこの本では文庫本の『アズマニア2』同様にSF大会のルポ漫画が四本つづけて載っている。79年の名古屋大会から82年の東京大会まで四年間毎年描かれたもので、その中で『不条理日記』で青雲賞もとい星雲賞をもらったりして、まあ、吾妻氏は当事者にふさわしく走りまわったり暴れたり女の子に抱きついたりと大立ちまわりを繰り広げるのだけどそのすべてが当事者でありつつなお他人事のような筆致で描かれている(闇と空白と冷や汗で構成された四本目「冷たい汗」はよくわからないがこの本収録の83年以降の作品を読む限りでは試行錯誤の末のスランプのようにも見える)。それで逆説的に思い出したのは『BSマンガ夜話不条理日記の回でSFファンの吾妻氏に対する心情を当事者として語る岡田斗司夫や『網状言論F改』でSFファンの政治性に対する無邪気さを当事者として語る小谷真理に当事者でもプロパーでもない視聴者/読者として感じていたうさんくささだったりするのだけど……。当事者は当事者であるがゆえに一度その特権性を疑ってみる方がいい。なし崩しの現状肯定をもって認識力の高さを誇るのはいいかげんやめていただきたいものだ。(フィクションとして高い/低いという言い方はありだと思う。幻想文学は実はフィクションとして「低い」場合が多い)