バーチャル世代コワイわー

 CloserPLASTIKMAN『CLOSER』を聴いていたんですがこれがまたCDが取り出しにくい。海外でよくある薄い紙のケースの中にもうひとつ厚紙のケースが入っていてそこに裸のディスクが滑り込ませてあるのだけど例によってサイズの余裕がきわめて乏しくギチギチにはまっているのでインナースリーブと盤面のどちらをも傷つけずに取り出すのは至難の業で精緻な指運びと土壇場の思い切りのよさが必須となりイラチには向かないし目下行動を促している音への意欲を減退させるおそれさえある。ひょっとしてあっちの人っていきなり剥いちゃったりするの? ジャケとかレーベルとか封入されたアートワークとかさりげなく凝ってていい感じだからもうちょっと丁寧に扱いたかったんだけどイマ見たらジャケットの縁がすでに指紋でべったりでした。最近よかったというか新鮮だったのは石川智晶の『僕はまだ何も知らない』で、CDとDVDの二枚組なのだけどそれぞれが別のプラケースに入ってボックスの中に入れてあり上部から取り出せるようになっている。普通のボックス仕様とくらべてどう優れているということもないけど見た目が何となく収まりがいいなあと思ったのだけどボックスの中に埃がたまりそうな感じもする。

 日常 2 (角川コミックス・エース 181-2)ところで我が家とその身の丈数尺の寝返り空間のあいだで目下話題独占なのはあらゐけいいち『日常』の二巻目だ。「おまえまた全部イラストの違う缶バッジ何百個も描かせんのかよ! 作者殺す気か!」という感じだが、一巻のとき応募し損ねて味わったしょっぱさを返上すべく最低二口は応募するつもりだし、それはともかくまさか年内にもう一冊読めるとは思わず、しかもそのあまりの素晴らしさに率直に感動させられてしまい、もう芥川賞でもなんでもとってきちゃるわ!という心持ちなのだった(アイスの当たりが下に出てきた時点で完敗の咆哮を上げたし、ロックンロールがはじまったあたりでもう感動のあまり一コマたりとも先が読めなくなり本を閉じて二日間は寝かせた。おかげで下階の住人たる脳細胞二個マンより度重なる催促の突き上げを精神と身体と部屋の床に食らいつづける羽目になったのだけど。ところでかつて蓮實重彦は文藝時評で「いま風は(芥川賞ではなく)三島賞に吹いている」と書いたが明らかにいまは吹いていない。むろん芥川賞であるはずもなく、それではどこに吹いているのかというと文壇ウォッチャーでも熱心な文芸誌読者でもない身には知るべくもないのだが、今回笙野頼子特集目当てで買った『文藝』に掲載されていてなんか審査員たちの選評での褒め方が普段と違って真に迫っているように感じられたためとりあえず目を通してみたらたちまち引き込まれた第44回文藝賞作品・磯崎憲一郎『肝心の子供』を読み終えたあとならば「確かにここには吹いていた」と言うことができる。文芸誌って1,000円くらいするからお目当ての特集やら作品と、あともう一本佳作以上の小説が入っていれば心情的に元は取れたと思えるのだけど、『肝心の子供』は104枚という中編、人によっては短編と見なされるほどの短さでありながら文藝冬号を独力で支え構成しうるほどの作品でこれ一編で元が取れたとも言えるし元が取れるも取れないもないでしょうとも言える。まあ実際のところ質量的な長さを度外視してこれを長編だと言い張っても差し支えないわけだ。そうすると芥川賞の選考基準からは外れるだろうが……まあ内容は端から思いっきり外れているのだしそれでも受賞できるのならめでたいことにはちがいない)。あと相変わらず尾玉なみえ臭(おだまんがスピリット)はするね。この点でも貴重。