あーこんなん出てるんやなあ、ということで。ロベール・ブレッソン DVD-BOX 1 (ジャンヌ・ダルクの裁判/湖のランス口/たぶん悪魔が)ロベール・ブレッソン DVD-BOX。収録されているのは『ジャンヌ・ダルク裁判』『湖のランスロ』『たぶん悪魔が』の三作。(amazonのレビューにも書いてあるけど)そこは当然ジャンヌ・ダルクじゃなくて『抵抗』だろ!! 空気を読んでよ……と思わないこともないがいずれにせよ買いの一択。帯からは「1」という数字が読み取れるし、他の二作、とりわけ『ランスロ』はこの機を逸したら次はいつになることかわかったものではない。それにジャンヌ・ダルクにだけ映像特典がいくつかついているようだからまるっきり空気が読めていないということでもないのだ。むしろ粋な計らい。ありがとう紀伊国屋先生! この勢いで頼みます。あとはオリヴェイラBOXの第三弾を出して『カニバイシュ』入れてください……。


 覚書として。一月に観た映画は『ここに幸あり』『ペルセポリス』『ぜんぶ、フィデルのせい』『夜顔』の四本(狙ったわけではないがぜんぶフランス映画だなあといま並べてみて思った)。それぞれよかったが(『フィデル』が想像以上に隅々まで丁寧に作り込まれていたのは嬉しい不意撃ちだった。明確な語り口をもって、しかしあくまで語り尽くす手前でとどまる。ある限られた時間と空間の中で数々の思想、国、境遇の人間たちが寄り集まり、うごめき、散り、その密度の海を子供たちが嬌声をあげながらジグザグに駆け抜ける。そしてアンヌはその日もふて腐れた顔でひたすら歩くのだった)、やはりイオセリアーニ、オリヴェイラの老人映画二本にひときわ魅了された。特に『夜顔』は瞠目と失神のあいだを幾度も往来しながら70分間陶然と呆気にとられるほかなかった。まず冒頭の演奏会。演奏をするオーケストラ全体を正面から延々ととらえる固定カメラ、そこに観客席の中にある老女の姿を見つけ、居ても立ってもいられない風で腰を浮かせそわそわとする老人のカットが何度か挿入される。もうこの時点で失禁寸前。むろん観客のほとんどは老人(ミシェル・ピコリ)と老女(ビュル・オジェ)が数十年前のブニュエルの映画『昼顔』の登場人物であり、その二人が偶然に再開することで物語がはじまることを知っている。だが二人はなかなか会うことができない。というかあからさまに老女が避けているのだ。老人は諦めずに街をうろつく。その合間に何度も挿入されるパリの街の異様な俯瞰カット、夜闇を横切るエッフェル塔の照明。二度訪れたバーでバーテンと交わす鏡越しの会話(きわめて穏やかながらもピコリの身体にわずかに表面化する険、ふてぶてしさがよかった)、ちょっかいをかけてきそうでなかなか接触してこないおしゃべりな二人の娼婦。そして二人はようやく出会い(老人につかまり)、頼りないキャンドルの灯りだけに照らされた暗いホテルの一室で厳かで思わせぶりで凄絶な食事が交わされる。切り返されるカメラ、張り詰めた視線の応酬。暗闇に彫り刻まれる二人のシルエット。けっきょく秘密は保持されたまま映画は暗転する。残ったのは絡み合うように食器を片付ける二人のホテルマンのこぼれ落ちたような純粋な呟きだけ。ストーリーも何もなく、具体的に何が描かれているわけでもない。おそらく多くの人の眠気を誘う映画ではあろうし、実際に隣に座ったおばあさんも半分もしないうちに寝息を立てはじめていたのだけど、それでもおそらくここまで映画が充満している作品はそうそうないし、ちゃんと起きて観ていたのならほとんどのシーンが何らかの形で印象に残っているはずだ。それほど瑞々しいのだ、カメラに映っているのは老境の性であるにもかかわらず。どうでもいいが、なぜドヌーヴはオファーを断ったのだろうか? 『永遠の語らい』には出てたのに。オジェに不満があるはずはないが単純な疑問として残る。あとタイトルは『続・昼顔』のままでよかったと思います。ぜんぜん続編めいてはいないけど。