はてなにずいぶん前の下書きが残っていたのでそのまま復帰

 『コッポラの胡蝶の夢』のことを具体的に人に説明しようとして苦し紛れに「それなりに金のかかった自主映画になぜかティム・ロスが出ているみたいな……」と口をついて出てそこではたと気がつき比喩ではなく本当に膝を打ってしまったのだけど、これってまるで『シックス・センス』や『アンブレイカブル』のブルース・ウィリスみたいじゃんか! で、いろいろと腑に落ちた。破綻すれすれ(アウト?)の出鱈目さで、何もかもが唐突で、解を与えられることのない謎に満ちていて、にもかかわらずきわめて明快で、煙に巻くようなそぶりもなく妙に確信に溢れ、抜け抜けとさりげなく映画原理に立ち返り、全体的にはかなりの「イイ」話……何とも実にシャマランだ、むしろそれ以外の何ものでもない。いまのいままで思い至らなかったのが情けないくらいだ。そして樋口泰人の≪コッポラが新作を撮ったとき風景が変わる気がする≫という一昨年ごろの呟きを思い出しもする。大阪では梅田でモーニングショウのみという手ひどい扱いでしたけどね……。

 ところでテレビドラマ『銭ゲバ』についてはまず放送開始前のプロモーション番組を見かけたのみ本編はほとんど観ていないし、原作さえまともに通読したことがなくせいぜいが唐十郎主演の映画と、ジョージ秋山が自らを題材取った観念絵巻『WHO ARE YOU?』出演時の蒲郡風太郎の姿しか知らないので実際のところ何も言えることはないのだけど、最終回だけはちょっと興味を持って観た。こういうことが起こった。まずダイナマイトを身体に巻き付けた松山ケンイチが浜辺にあるという掘っ立て小屋の中で長めの導線に点火してその死を待つまでのあいだ(ところでこの『トウキョウソナタ』に出てきたようなきわめて不自然な掘っ立て小屋を見ていてある映画の記憶が喚起されそうになったのだがすんでのところで同定できない。藤田敏八あたりだろうか……? 掘っ立て小屋+ダイナマイト、そして情死という組み合わせだったのだけど)彼の脳裏に「ありえたはずの幸福な半生」が偽の記憶としてフラッシュバックするのだけど、当然その追体験は残り数分で弾けとぶ蒲郡の命運の前にいいところで中断を余儀なくされるほかない。その事実を(想像的に)突き付けられた蒲郡に生への執着がきざし、全身で抵抗し出すもかなわず爆死。で、主要人物たちの後日談が簡単に語られ幕が引かれようとしたところで物語内の時間が逆回転しはじめる。そして爆発寸前まで時間が巻き戻ると蒲郡はまったく取り乱すことなくダイナマイトに巻きつかれながら「後悔などない」と語り、カメラの向こう側に対して呪詛の言葉を吐き出して終劇。というわけでこれは胡蝶の夢の一ヴァリエーションと言えるのだけど、ここに荘子の説話のごとき掴み所のなさはない。ただ蒲郡の幸福と蒲郡の抵抗と蒲郡の呪詛という三様相が同軸上にいささか曖昧な形ではあるが並び立っている。この曖昧さはテレビドラマとしての指向性のために生じたやむをえない部分だろうが、『人間失格』落ちでもなく、夢落ちでもなく、かといって視聴者にゲタを預けるような厚顔無恥の解釈落ちでもない選択は、それでも、かろうじてではあるものの、勇気ある選択にはちがいないと思う。