はじめての廃物利用

 なんかtwitterで書き散らしたのをでっち上げ的に系統立てて引き取りまとめて貼り付けた挙げ句付記的に何かを書き加えればblogの更新も余裕な気がしたので一年近く更新を空けていた気まずさにおめおめくさぐさと身を貫かれながらもとりあえずはチャレンジング、チャレンジングといってみよう。廃物再利用場としてのblog空間。まずは最終回を目前にしたAngel Beats! について。

  1. rakanka まあAngel Beats!は言われているほど説明ゼリフも多くないし、詰め込み感もなかった。少なくとも一話で示されていることは普通にアニメーション進行の枠内で理解できることばかりですよね。麻枝作品に慣れているからかも知れないけど、逆に慣れているからこそギャグにはだだ滑り感が……。
  2. rakanka イマ気になっているのはやはり高屋奈月Angel Beats! をどう見るのかな、ということ。サブキャラまで徹底的にカップリングを作り上げる(各種エンディングを物語に織り込む)あの執念は驚嘆に値する。そして彼女は明らかに麻枝准と同じ重力圏内にいるわけで。
  3. rakanka 寝言を言うけど、Key作品(特にAIR)はヴァン・ゴッホの絵画の中で素描されたポール・セザンヌ、みたいなものなんですよ。麻枝准ゴッホの繋がりを教えてくれたのはアントナン・アルトーゴッホ論で、ゴッホが弟に宛てた手紙において樋上いたるセザンヌとして見いだした、というわけ。
  4. rakanka 麻枝准の書くものがなぜ不条理なもの、理不尽なものと受け取られてしまうのか、作家性やテーマを云々する前にまず基本として、麻枝氏にエンタメ的な意味での作劇技術が欠けていることと、複数シナリオ間(の一部)での作業上の没交渉、という外テクスト的、間テクスト的要素は外せないわけで。
  5. rakanka ゲームの場合はユーザーはパッケージ単位で受け入れる。そのあとに積んだり、中断したり、投げたりはあっても、一度ある決定性のもとになされた判断がなければ何もはじまらない。一方、連続アニメは毎週ごとに受け入れるか否かの判断を視聴者は迫られる。決定性が遅延されていく。
  6. rakanka Angel Beats! における感情や因果を巡る世界観は、手塚キャラが『レディ・イン・ザ・ウォーター』の世界に入り込んだようなもの、と考えればわかりやすい人にはわかりやすいでしょう。
  7. rakanka 麻枝准は音無をことさら無神経で思いこみの激しい人物として描出しようとしているわけではないし、さりとて音無が麻枝氏の分身というわけでもない。単に音無は作中で無神経な振る舞いをつづけるのみで、現にユイだって10話Aパートで「それって言わなきゃダメなの?」と訝しげな態度を仄見せている。
  8. rakanka 麻枝氏にとって伏線は張るものではなく、種のように蒔くものだろう。世界は耕され、耕された限りにおいて世界であり、収穫されたものだけがその成果として残る。そして無数の種がいまだ地中に埋まっている。
  9. rakanka 今回のAngel Beats! を観て、類比的にエヴァの名前を挙げるってのはほとんどニコニコ動画における脊髄反射レベルのリテラシーだと思うけど。
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 ……こんなものだろうか。まとめると意外と何も言っていないし、特段付け加えることもないような気がしてくる。ともかく今日は引用するだけで疲れたのでつづきは明日。