わが感想修行

 そういえば、というわけではないが、別の用でtwilogを検索したときに見つけた自分のツイート。http://twitter.com/rakanka/status/6696604669 まあ……やっぱり麻枝准は自己参照の人ではあるな、と。そしてその「自己」の裾野にはテキスト自身と、その受容もまた含まれるわけで。氏に少女漫画性があるとするなら、それはやはり久弥氏経由であり、また久弥直樹という作家の刻印ではあるのでしょう。しつこく言いますが、『ONE』ファンのみなさまは名取ちずるをお読みくださいませ。


 で、『四畳半神話大系』だけど、最終回を無事見届けて「おおむね」満足はできた。この「おおむね」感がどうしようもなくノイタミナなのだな、とも思うが、ともかく気になったのは大きく二点。まず各エピソードはあくまでパラレルワールドの出来事であり、並列し、決して同時に存在したり交わることのない世界なのだが、過度に形式性をもたせることにより視聴者にループものを見ているかのような錯覚を与えるような、いわばあくまでリニアであらざるをえない視聴者の連続視聴体験にかこつけて、ギャグやくすぐり的に世界の周回感を仄めかすカットやセリフを挿入している。それ自体は完結−継続という閉開の儀式をそのたびごとに行わなくてはならない連続アニメの方法論、あるいは演出的作為として間違ってはいないが、結果的には名も無き主人公の語り口の形式性(作為性)も含めて、エピソード内容を一話に収めるためほどほどに省略し、飛躍させても視聴者が物語から振り落とされないための、いわば持続のための持続を目的とした苦肉の策、ある種のお為ごかし、として(しか、とは言わないが)作用している。その延長上の問題としてもう一つ、最終回の四畳半世界からの脱出……ありゃあ鯨の腹からただひたすら全力で突っ走って脱出した、というのと何も変わらないじゃないですか。もちろん何を表象するか、作品全体とどう係わるか、というのは異なってはいるけど、物語の中でどう作用しているか、演出としての説得力という意味ではさして変わりはない(いや、さして変わりはないよ、との意見もあるかも知れないが、まあ説得の方法はちがうでしょう、と)。つまり弱いということだけど。なんとなくいい話で終わって、もちろん「それなり」に満足はしているし、よい作品だとは思うけど。以上、感想になっているかな?