けっきょく不十全に言いっぱなしなわけだが

 そうそうそう、っていうかバカバカバカ、なんだけど、『四畳半神話大系』について書こうと思って忘れていた事項があったので、なんとかいちどきにやっつけて忘れてしまいたい。このアニメを視ながら思い出していたのは『マゾバイブル』という相当にしょうもないマゾ男優・観念絵夢という為人およびその思想、ライティングを巡る順当にしょうもない本。ここで第4章のインタビュアーを務める宮台真司が観念氏のマゾ思想を【マゾは負けることこそが快感、つまり負けるが勝ちだから、結局、誰にも負けないしスゴイ】【ある意味で誰よりもうしろに引いているから、世界を一番客観的に見られるという。簡単に言えば、世界を所有できるって感じ】と要約し、それってニーチェだよね、みたいに適当におだてて観念氏からおもしろい言葉や反応を芋づる的に、とはいかず、抜いては切れ、引けば千切れの手応えのなさ、まだるっこしさを伴いつつも水面に誘き寄せ、そうやって釣り上げた想念の断片をその十倍以上の分量の語彙と理屈の動員をもって埋め、繋げ、飛躍させることで薄らぼけた人間像からそれなりに一貫した思想を彫り抜こうとするのだけど、すればするほど観念氏自身の中途半端さ、「観念的な」「マゾ(M)」という名付けをいささかも裏切らない裏腹の従順さのようなものが浮き彫りになっていく……。


 でまあ、『四畳半神話大系』の名無しの語り手が観念絵夢とその中途半端さにおいていちいち癇に障る形で符合しつつ決定的にずれている、という、いちおうそういう話……のつもりではあったのだけど。まずこの主人公は「名付け」を避けえており、それゆえに形式的な語り口を仮構しながら、最後方にて全能感に優しく抱かれ、徹底的に卑屈さに居直りつつもその傲慢さに気がつくことなく責任を世界に丸投げし、膝を丸めてただ愁嘆に暮れる。完全に「非モテ」とか名乗っちゃう人種のメンタリティなわけだが、ところで観念絵夢のルックスは小津にちょっと似ているものの、名無しの語り手は見目はそれほど悪くない。また坂本真綾から好感をもって接せられることは運命において決まっているのであり、ほかにも有形無形有生命無生命の美女たちとのインスタントかつ虚偽に満ちた交流がひとまず待ち受けてはいるわけだ。すでに決まっていたのだと。運命の扉はすぐ身近にあると。何が不満なんだか知らないが毎回「こんなのはダメだぁ!!」と叫び、あたかも時間がこの男のためのループしているかのように装われ。全力で走るための世界最後方たる四畳半世界がまんまとお膳立てされ。ひたすら行なわれる「おれって何のかんので幸せだったんだ」の確認作業。ループしているのはお前の自意識じゃん!……で、終わり。なんかいい話風に終わり。まあどう転んだってノイタミナという次第。『涼宮ハルヒ』を観て『ビューティフル・ドリーマー』の名前を連呼し自己を慰撫する精神の錆び付いた人たち向けのアニメ……と言ったら口が悪すぎるか。もちろんアニメーションとして観ている間は楽しめる作品であることは保証できますゆえ。以上。もうしばらくは森見作品とかヨーロッパ企画とかに接近することもないでしょうね、と。