昨日間違ってブログを更新したらなぜか「けいおん」の記事が上がってしまっていたので、何となく。たぶんさして話題にはなっていないのだろうけど、こういうtogetterを読んだので。

http://togetter.com/li/245854

 円環というのはいかにもアニメ評論的な主題で(「なんでもビューティフル・ドリーマー病」って、あると思うの)、日常系などという(非日常と対置される)カテゴリを念頭に置いて、まあ作品をダシに三題噺的なものをやりたいなーって向きにはうってつけのタームであるわけだけど。そんな邪念にまみれているから『映画 けいおん!』にありもしないノスタルジーなどを見出すわけさ。そもそも円環から抜け出すって何のこと? と思うわけよね。だって高校生の三年間なんて端から期限付きなわけで、誰もそのことを疑ってなどいない。一年生、二年生、三年生という各学年は円環で閉じてなどいなくて、連続していて、でも断絶していて、繰り返しで、別物で。無理やりに円のイメージをとるなら螺旋になるのだろうけど、上昇と下降の運動に縛られる必要などないので、やはりそこには反復の運動を見出すべきなんだ。さわちゃんという観測者が教室ライヴで放課後ティータイムに見出したのはデスデビルの反復であるわけよ。さわちゃんは想い出の中のデスデビルに放課後ティータイムを重ねてノスタルジーに浸っていたのでは断じてない。OPでデスデビルの模倣をする放課後ティータイムが、何も知らずにさわちゃんのために思いついた教室ライヴがデスデビルに、いわば歴史に接続した。その観測者であるさわちゃんは反復を、その運動を、つまりは音楽を見たのであって。で、それが『けいおん!』なんだよね。そこを間違えたらもうぜんぶ台無しだ。『まなびストレート!』を観ろよ、と最低限の慎みをもって最高のサブテキスト(かつテキスト)の存在を教えてあげるしか手段はないわけだ。だって観てわからないんだからさあ。『輪るピングドラム』がなぜ過去回想を多用しながら現在を束ねていったのか考えてみろってんだ。二種類の運動(上下と水平)を現出せしめるためでしょうが。