『アルマジロ』について

ヤヌス・メッツアルマジロ』(2010) について簡単に。まず開始早々メインとなる四人の兵士を紹介しながらハードロックがガンガンにかかるので「え、こんな映画なのか……」と唖然となるが、実際のところそんな映画である。通常この手の機動性というか何らかの組織や集団に潜入して内部者の視線に接続することで平行性を重視する作品の場合はドキュメンタリーのドキュメンタリーらしさを保持するためにカメラのフィックス撮影などと同様BGMによる感興演出は慎重に排されるものだとも思うが、この映画では導入から遠慮せずまるで兵士たちを映画俳優であるかのように切り取っていく(そういえば部隊長はブラッド・ピットに似てないか? メスも誰かに……マーク・ウォールバーグ?)。それでもドキュメンタリーとして圧倒的な"画"が撮れている、という自負の表れなのだろうか? たしかに圧倒的な"画"も"音"も撮れている。逆説的に劇映画としか思えないような臨場感と鮮明さをもって映し出される戦場の様子はほかの作品では決して味わうことのできない体験を観客にもたらすだろう。カメラの前で実際に銃弾が飛び交い、爆撃が行なわれ、兵士民間人敵味方関係なく負傷し、死ぬ。のみならず、キャンプにおける兵士たちの生活や作戦実行の様子がそれこそハードコア・ポルノ動画をアルコール片手にみんなで視ているワンシーンから無線の通信内容に到るまで赤裸々に捉えられている。


 ……赤裸々? しかし軍の許可を得て堂々と撮影し、またカットされることなくこうやって映画として公開されている以上、その赤裸々さはあくまで公にしていいと判断されたレヴェルの赤裸々さではないのか? 終盤、四人のタリバン兵を殺害した作戦実行の様子(負傷した兵を殺したことを自慢する内容)がその実行者の口から親への電話を経て軍の知るところとなり、憲兵から部隊長が事情聴取を受けるという事態が発生する。「帰国したら楽しい軍法会議が待ってるぞ」と部隊長は言い、部内の出来事を漏らさぬよう兵士たちに脅しをかけるのだが、当然その様子もカメラはばっちり捉えているのだ(ところで件のタリバン兵殺害が実行された作戦にはカメラも(おそらく兵士のヘルメットに埋め込まれる形で)ついて行っているのだが、銃撃がはじまり、手榴弾が投げ入れられたところまでは映していても実際に負傷兵が殺されたかどうかまでは映していない。駆けつけたときはすでに溝の中でぐちゃぐちゃになった四人の死体が積み上げられ、兵士たちはそこから武器や弾薬を掬い上げる作業をはじめていた。まるで彼らが基地内で暇つぶしに遊んでいたFPSを再現するかのように。ここでもカメラは肝心なものは見逃してしまうという特権を行使しながら、見てしまったものを並列化し倒錯さえ演じさせるのだ)。兵士のひとりは言う。「言いたい連中には言わせておけばいい。ここにいない者に何がわかる」


 当然ながらこの言葉は映画において発せられることによって観客に対しても向けられることとなるだろう。一方、カメラが三ヶ月間密着してきた中で兵士たちの心境や価値観がどのように変わっていったのかを観客はちゃんと観ているし、負傷兵の抹殺もまたその延長線上にある出来事ではないのかということを想像する余地も与えられている……そう映画によって演出されている。その場にいないと知り得ないことを知りながら、しかし決してその場にはいない、というドキュメンタリーの原則ともいうべき観客のアンビヴァレントな立ち位置がここで明示されているのだ。そしてラスト、生き残ったメイン四人が軍法会議でお咎めを受けることなく次々とアフガニスタンの最前線へ舞い戻っていったことがテロップのみで報告されることによって、この映画がかようにBGMをふんだんに用いてフィクショナルに演出されていたことの意図にぼんやりとではあるが思い至った。観客の視線を一度兵士四人の視点へと接続して戦場の臨場感をひとしきり体験させたあとに、タリバン兵士四人に関するあたかも『藪の中』めいた物議によって引き剥がし、それでもまた彼らは戦場に戻るのだ、という後日談によって生じるどこか釈然としない、ある種非合理な印象のただなかに押し留めるため、観客のよく知るハリウッド的な青春映画が準拠枠として用いられたのではないか。事実、基地の中で「仲間がほしかったんだ」と自らの志願動機を明らかにする兵士の言葉も捉えられている。この映画の宣伝でも、戦場シークエンスの臨場感を説明するためにわざわざ『プライベート・ライアン』や『ハート・ロッカー』というフィクション映画が引き合いに出されていたではないか。リアリティを参照する際にフィクションが経由される。


 というわけで、この『アルマジロ』から遡行することで、『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997)→『ミッション・トゥ・マーズ』(2000)→『リダクテッド』(2007)という系譜をでっち上げてみたいのだが、いかがだろうか。エンドロールが流れる中、この映画がこの形で公開されることを許したデンマーク軍、および被写体の兵士たちのことを考えながら、『リダクテッド』ラストで涙にくれて戦場のことを語る帰還兵に浴びせられる拍手の薄気味悪さと、それに続く『戦争のはらわた』ばりの戦争写真コラージュのことが脳裏を去来したのはたしかなのだ。彼らもまたイメージの間で引き裂かれている。