『たまこラブストーリー』一景

鴨川デルタの飛び石の真ん中でもち蔵から告白を受けたたまこはあまりの動揺に足を滑らせ川に転落するのだが、どうやらそのときコンタクトレンズを落としたようだ、ということはずぶ濡れのまま霞がかった視界のなか京都の町や商店街をひた走って帰宅するまで気付かない。ところでこの後しばらくもち蔵に対してまともに接することのできないたまこが全身をカチコチに硬直させながら口走ることになる「いいってことよ」や「かたじけねえ」はいわゆる江戸っ子口調であり、となれば『たまこまーけっと』において神様の使いでもあり旅人でもあるというフーテンの寅さん的な存在としてうさぎ山商店街に現れたデラ・モチマッヅィを、デラ自身はそのような口調ではないものの、想起させなくもない(もちろん劇中ではたまこがデラのことを意識にのぼらせているような描写は一切なかった。だが『たまこラブストーリー』本編開始前に挿入された短編『南の島のデラちゃん』をすでに観ている観客は、別れ際にデラから贈られた羽をたまこが大事に部屋に飾っていることを知っている。映画の後半では一方的にたまこのことを思うチョイの姿が唐突に差し挟まれもする。そこに直接的な通信のやりとりはなくとも、糸電話の糸のようなものがちゃんと張られていることを、映画の外に置かれたはずのつながりをわたしたちは信じてもいいはずなのだ)。


 呼び水はあった。たまことあんこが銭湯に行く最初のシークエンスで、たまこはコンタクトレンズを外すのを忘れて浴室へと足を踏み入れ、そこで普段は目にすることのないご近所さんの大きな胸に圧倒される。一瞬だけ自分の胸に意識がいくも、そこは変態もち娘、不意にたまこに天啓が。「おっぱいもちはどうだろう」……呆れるあんこ。そして観客は思う。それデラと発想が同じだから!!


 観客だけが知るたまことデラの秘やかなつながり。銭湯と鴨川。そしてたまこは靄のなかをひた走ったあと「コンタクトレンズ落としちゃった」と呟く。あのたまこを取り巻いていた靄はもち蔵の告白に混乱する彼女の主観風景ではなく、もとい主観風景であると同時に、コンタクトレンズが外れてしまったたまこ自身の焦点のぼやけた視界そのものだったのだ。ぼやけた視界と、靄がかった彼女の主観と、京都の町をひた走るたまこの横顔。短いカットのなかで三つの層が渾然となりながらも、「実はコンタクトレンズが外れていた」ということを遅れて明かすことで観客の視点をたまこの視点と同一化させたままではおかない。たまこの戸惑いはたまこだけのもの。ただわたしたちに許されているのはたまこの視点に寄り添いながら早朝の商店街の空気を初めて吸うこと、クラスメイトと戯れる幼なじみの見たことのない表情に気がつくこと、自分の夢に向かって足を踏み出したクラスメイトを見つめながら遠く飛行機の音を聞くこと……だけなのだ。