ornette colemanはしかしこれでもやっぱりジャズなのだろうか……ということを今度ジャズ&ボサノバマニアの旧友に訊いてみようかとも思うのだけどなんとなく答えは想像がつくし最近はたまにメールがきたかと思えば株式とか「国民健康保険は高い」とか○○の犯人の顔知ってる?とかそういう気が滅入るというかあまり真面目に応接したくないような話題ばかりなのでなんとなく訊きづらい。この前オーネットのatlantic時代の曲を網羅したという六枚組のボックスを買って、放っておいたら一日中でも聴いていそうな感じなんだけど物理的にそうはいかないし物理的に可能でもそうしないだろうとは思うけど一枚聴いたあとはまるで一日中聴いていたかのような気分になっている(からやっぱり実際に一日中聴いたりはしないのだろう)。Miles Davisなんかだと気分によっては相当わずらわしかったりもするんだけど(まあ、聴くのはもっぱら『Bitches Brew』等の電化マイルスばかりなんですが……そういえばCOLUMBIAから出ている『BB』デジタルリマスターCDの内側のDISK2が収まっている部分のスリーヴのマイルスの写真が芸人のゴルゴ松本に見えてしまって仕方ない……)オーネットならばそこそこ大音量でも放っておいてほかのことに集中できるし、それでも耳はちゃんと音を拾っていて不意に音楽のほうへと意識が引き戻されるのでちょっとだけ手を止めて集中しながらしばらくするとまたほかのことに没頭している。


 それ(オーネットがジャズかどうか)はどうでもいいとして、レコード屋でしばしば見かける「ワールドミュージック」という分類はいったい何なんだろう。世界音楽?海鳴りとかイルカの声とかジャングルの実況録音とかそういうのだろうか。それとも民族音楽とか極端にローカルな音楽(YAHOWA13みたいな?)をそう呼ぶのか。それとも面倒くさがり屋の誰かによる埒のない横暴行為の成れの果てということなのか。NO MUSIC,NO LIFEというあるレコード屋の経営理念があり、そのフレーズの意味するところと同じようなことを真顔で言う男をぼくは知っている、というか知っていた。彼は「あなたのもっとも怖いものは?」という質問に気を利かせたつもりか「音楽の流れていない部屋」とこたえた。まさにmusicなきところにlifeなしを地でいく男だ。実際に一度だけ入ったことのある彼の部屋にはたしかに常に低い音量で音楽が流れていた。音楽といいながら彼が聴くのはパチンコの景品でもらってきたよく耳にはするが部屋で聴こうという発想にはとても至らないようなCDばかりなのだがそれはこの際関係なく、いや関係あるかも知れないけどひとまずそれはおくとして、ぼくが言いたいのは「それではまるで逆ではないか」ということだ。つまりlifeなきところにmusicなしというなら話はわかる、ということ。


 各個の「音楽の良さ」を山の高さにたとえたり、ルーツ論議に熱くなる人びとがいる。ルーツ論議はまず決着がつくことはないけど暫定的に決着がついたとしてではそこで彼らは何をするのだろうかと期待の眼差しを向けていてもせいぜい他愛ない知識を披露するかなぜかふんぞり返っているかあたりかまわず「リスペクト」を強いるぐらいしかすることがなくあくまで文化とは無縁の光景が茫漠と拡がり果てがない。誰もlifeに堪えるmusic、musicに堪えるlifeのことを考えようとはしない……が、むろん考える必要なんかなくただ実践すればよく「すればよい」と言っているあいだにもうしてしまっているようなものだ。音楽はもう鳴ってしまった。音楽は兵器ではないからひとを殺すことはない、ひとを殺すのはひとだけだろう。世界中にlifeはあり、また世界中にmusicがある。だからといって「すべての音楽がワールドミュージックなのだ」などと言ってはいけない。本当にまったくもってNO MUSIC,NO LIFEな言い様ではないか、これでは。