京都は立誠シネマにて平野勝之『太平洋の地獄 サイパン水着ギャルの戦争』と『青春100キロ』観た。「太平洋の地獄」は以前別タイトルでセルVHSとしてリリースされていた前編と、そのあまりの不評ぶりに発禁になったまま眠っていたいつか編集されて後編として…

なぜとつぜん偽日記という言葉が現前し、またそれをわざわざダイアリーに書きつけてしまったのかというとそれはまあやっぱり森達也『FAKE』を観たからなのだろう。本当に嫌になるくらい単純な頭をしている。ところでジョン・バース(なつかしい)の『金曜日…

かつて偽日記というサイト名を見たとき、このひとうまいこと言ったなあと思った。荒木経惟の『女高生偽日記』というタイトルはまだ大阪で面白い映画がやまほど上映されていたころ何かの特集上映の一作として見かけて、そのタイトルに心惹かれながらも観る気…

『帰宅部活動記録』の美しさを語る前に

先日NHKで放映されていた株式会社カラーに所属する若手社員に焦点を当てたとおぼしきドキュメンタリー番組でカメラを向けられていた一人のアニメーターは震えた描線を引くことを欲望していて、原画昇格試験に際してそれを抑圧すべきか押し出していくべきか葛…

『暗殺教室』、(再)発見する/される主人公

群像劇については「グランドホテル方式」と「アンサンブル・プレイ」の二種類がある、というのが漠然とした認識だったのだけど、Web上の簡単な検索結果を遠目にさらう限りではその二つを区分けしない言及例も多く、そもそも語形を見るだけでも前者が様式、後…

『アイドルマスターシンデレラガールズ』のこと(たぶん)

ところでシンデレラにとってのお城というのは漠然としたきらびやかなイメージでしかなく、むしろ関心事はこの生活からの脱却や自己改革の方にある。綺麗なドレスがあるから彼女は家の外に出ることができるし、カボチャの馬車はお城へとつづく階段のふもとま…

もう一文だけ続き

もちろん千葉サドルの筆致が連載を重ねる中でストーリーの展開に伴う生成変化をしていて、それ自体は『がっこうぐらし!』に限らず連載漫画作品にあってはよくあることではあるのだけど、あのときゆきが「美人になった?」と言ったときに含意していたのは「…

『がっこうぐらし!』について、あるいはゆきが美人になるということ

『がっこうぐらし!』第31話、荒廃したコンビニに寄ったくるみとゆき、ひとりで裏を見に行っているあいだにてきぱきと床の掃除をしているゆきの背中を見て、くるみは頭の片隅に置かれていた疑念をおずおずと唇に乗せようとする。「……なぁ」「おまえ」「最近…

『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』についての補記

アクセス記録を見ていると以前からウルトラ・スーパー・デラックスマンという単語の検索によってこのブログに辿り着く例が定期的に観測されるので、ちょっと以前書いたことの補足でもやっておこうという気持ちに今にしてようやくなった。 全集の解説で山田正…

登場人物が作者に直接異議申立てをするということ

『放課後のプレアデス』の話をしているときふっと風が吹きつけた拍子に「でも別にキャラクターは視聴者を楽しませるために生きているわけではないからね」と口にしてしまったのはどこかでうっかり目にしてしまった『放課後のプレアデス』評に対する苛立ちが…

『放課後のプレアデス』と『恐竜』

『放課後のプレアデス』四話を観て思い出していたのは世界一短い小説として有名なアウグスト・モンテロッソ『恐竜』のことだった。ひかるの目が覚めたとき、彼女はまだ宇宙にいて、まだステッキにまたがっていて、まだ夢の中のひとが隣にいて、まだ夢の中の…

『アイドルマスター シンデレラガールズ』13話

『アイドルマスターシンデレラガールズ』OPでいちばん印象的なのは徹底して俯瞰を見せないことで、カメラが仮想空間的な動きを見せようがどれだけカットが切り替わろうが適切な位置で上昇してそのフォーメーションの全貌を見せてくれることはない。アイドル…

『たまこラブストーリー』一景

鴨川デルタの飛び石の真ん中でもち蔵から告白を受けたたまこはあまりの動揺に足を滑らせ川に転落するのだが、どうやらそのときコンタクトレンズを落としたようだ、ということはずぶ濡れのまま霞がかった視界のなか京都の町や商店街をひた走って帰宅するまで…

メッセンジャーであるということ〜宝塚雪組『Shall we ダンス?』

東京公演が始まる前にいちおう。宝塚雪組公演『Shall we ダンス?』について。小柳奈穂子/脚本・演出作は初見。第一印象が「こりゃ少女漫画だなあ」というもので、いわば設定だけは外国ながら人物たちに流れているのは日本人の血、舞台設定は外国だけど考証…

テレパスについて〜藤子・F・不二雄『耳太郎』(改)

漫画の登場人物としてのテレパスはいったい何を聞いているのか。たとえば『ドラえもん』にも「テレパしい」(1978/小学五年生)という道具が登場するエピソードがあるが、これは他人の心の声を読むのではなく、特定の他人に自分の考えていることを聞かせると…

このnarrativeについてのけっこうとりとめのないまとめhttp://togetter.com/li/553526を読みながら思い出していたのが以下のくだり。これは声優について書こうと思って下書きのままはてなダイアリーに仕舞われていた文章の一部なんですが。だから"演技する描…

宮崎駿『風立ちぬ』を観て思いだしたこと

いつ頃から流布しているのか知れない夏目漱石の「月が(星が)きれいですね」エピソードというものがあってオンライン・ライフハッカーズが嬉しげに拡散させている光景を定期的に見るのだけど、こういう本人が書いたわけでもないエピソードに出典を求めたと…

あ、正確には同居ではなかった。あといちばん肝心の「『幸腹グラフィティ』のメインキャラクターたちはなぜ揃いも揃って食べているときに過剰な蕩け顔になるのか?」ということについて考えるのを忘れていた。特に読み返さずに感想を書くからこうなる。片手…

川井マコト『幸腹グラフィティ』

けっきょく誘惑に負けてデザインを変更してしまったのですが、いくら見栄えを変えたところで文章がよくなるわけではないので、いずれにせよ居心地の悪さは残るのでした。時間が解決するのを待とう……。 リハビリつづけます。川井マコト『幸腹グラフィティ』に…

ウルトラ・スーパー・デラックスマン

ああ、書き込もうと自分のブログを訪れるたびサイトのレイアウト何かちがう病が発症してしまう……とはいえここでうっかり手を出してしまうとまた時間が湯水のごとく消費されてしまうのでぐっと我慢の子でとりあえずちょっとだけメモを。 藤子・F・不二雄『ウ…

駆け足で書いてしまったので補足。映画のチラシでは前線に在ることに生き甲斐を見出し、命が助かっても再び戦場へと舞い戻っていく彼らのことを"戦争中毒"と形容しているのだけど、この映画では静止した彼らの肖像とともにキャプションで各々の選択が語られ…

『アルマジロ』について

ヤヌス・メッツ『アルマジロ』(2010) について簡単に。まず開始早々メインとなる四人の兵士を紹介しながらハードロックがガンガンにかかるので「え、こんな映画なのか……」と唖然となるが、実際のところそんな映画である。通常この手の機動性というか何らかの…

「山田尚子監督には愛がない」とかいう寝言を見かけた気がするが

twitterで書こうと思っていたが面倒になった。もういいだろうという気持ちだ。ところで昨年おぼえてから馬鹿の一つおぼえのように「物事の裏には意図がある」と言っているのだが、とうぜん重要なのはその意図はどのようなものか、ということではなく、たしか…

かつて存在しその認識を共有される作品にも似た決して共有されぬ何か

『たまこまーけっと』について、「"かわいい"以外の言葉は禁止」と言われました。「だってかわいくないから。ひとはかわいくなるためにかわいいものを観るんでしょう?」と言われ、さらに「映画けいおんもだからね!」と付け加えれらてしまったのでもはやぐ…

何度も書きかけて書くのをやめたけど、とりあえずあらためて思ったのでここに記しておこう。ちょっと前にtwitterのほんの片隅で盛り上がっていた(「けいおん!」キャラに関する)「内面」についてのつまらないおしゃべり、原因となったテキストを擁護するこ…

反復が運動であるということを忘れてはならないと思う。運動というのは動きの途中ということであり、その瞬間だけ切り出せば静的でもある任意の時空間参照系に存在する観測者によって現前していることどもがかつて現前していたことが眼差される。つまりさわ…

昨日間違ってブログを更新したらなぜか「けいおん」の記事が上がってしまっていたので、何となく。たぶんさして話題にはなっていないのだろうけど、こういうtogetterを読んだので。http://togetter.com/li/245854 円環というのはいかにもアニメ評論的な主題…

『監督失格』

他人ごとではない……というわけではないのだけど、かつて平野勝之の撮影したアダルティック・ヴィデオグラムを観ては一日中そのことばかりを考えていた時期もないではなく、気の迷いではじめたHPにハイパーリンクを駆使した循環的かつ系統樹的な(つもりでは…

前置きとthe interviews

ここにはいかなる蓄積もなく取り置きもなく滞留もなくただ書きかけで捨て置かれた断片とディスコミュニケーションの痕跡があるのみなので「あの、で俺さ、俺思うんだけどさ、俺は俺なりに俺と俺して俺俺さ……」と性急にはじめることができない。「わたし女学…

2000年代、とある私的空間における時評風の文章片より

というわけで発掘してみた。しかし、いったい、これは……。 - 人々が日本的な責任のあり方を否定的媒介に、よりいっそう日本的ともいえる「責任のあり方」に逃げ込んでいる光景を見ていったい何を思えばいいのだろうか。その韜晦に満ちた文の連なりを、ブラッ…