○○はとッても論理的だし理知的だょね、というとたちまちそれに反対する声が方々から挙がって困惑した……というある種の証言のお粗末な再現。○○はよく理屈っぽいだとか理性的だとか評されますが○○はむしろ理屈を避けようとして言葉を尽くしているのだし理性では掬いきれない感情の澱みたいなものがその言葉を動かしているのではないでしょうか……とかなんとか、別にその見解に異存はないどころか手堅く代弁してもらっちゃったような気分がどこか快く、だけど言葉づかいはちがうのだしどこかしら悪意というか恣意的なねじ曲げも感じられてやっぱり快さだけでは終われない。水をひとくち、言葉をつねに再定義しながら使ッてンだから注意ぶかく聞いてょね、というと、そうか、でもそれはしんどいな……という別々に発されたもののひと続きにしか見えない誰かしらのつぶやきとともに苦笑いの雰囲気がぼくの席まで押し寄せてきて、つまりあなたが彼(と誰かを右手で示し)に向かっていきなり罵倒の言葉を浴びせたとして、バカとかインキンとか傀儡とかなんだってかまいませんけど、でも彼(と今度は別の誰かを示し)がそれをまともに受けて怒りを露わにしたらきっとあなたはその罵倒語の再定義を彼(と今度は手のひらを上向きにして左右に動かしながら開いたり閉じたり)に強いるわけですね、といいだすひとまでいるので話はますます錯綜していく。だけどぼくは実は心ここにあらずで、ずっと野球帽を目深にかぶった窓際の髭面を観察していた。なぜならその髭面はずっとぼくたちのことを観察していたからだ。それは本当にあからさまで、新聞をテーブルにひろげ、ご丁寧にノートパソコンまでひらき、ずいぶん前に注文した珈琲にはいっさい口をつけず、腕を組み、たまに外の風景に目をやったり緩慢と動きまわるウェイトレスを視線で追いかけながらなにか言いたそうに口許の筋肉をこわばらせているがそれ以外のときはぼくたちのテーブルを真正面から観察している。で、ぼくはさらにそれを観察している。ここで観察の堂々巡りが成立しないのはあくまで髭面の観察対象がぼくたち全体だからだろうがではぼくの観察はいったい髭面の中でどう処理されているのだろうか。気にかかる。水。理知的というのはつまり人間であることに留まりながら人間を超えていこうとする態度というか誇大妄想みたいなもンで、だッていわゆる感情的な神話というものがこの世にある?つまり神話が感情の源でありうるための条件、水、論理をほどきながら、そのほどかれかたを観察する、眼差し、ッていうか……と言葉を詰まらせたところで周囲から何本もの手が伸びてきて肩や腕や背中をたたかれる、手によっては撫でつけるように、ほこりを払うように、こすりつけるように、ねじるように、そして髭面は依然と観察をやめようとしない。観察?あ、そういやいま観察ッて……と思わず口にすると、オマエ観察っていいかた好きだよな、といわれて発言の主のほうを向いてもそこは空席で、こっちこっち、と肩許を指でつつかれてふり返るとたしかにそこに探していた顔があった。あなたは私的なことをおそれてはいけないんですよ、まずは毎日の私的な事実を正確に記録することからはじめてはどうです……とテーブルの死角から突然諭されはじめ、水、と、空になったグラスに水を注いでもらおうとウェイトレスを目で探してもみんな遠くでそっぽを向いているので大きな声を出さないと気がついてもらえそうにない。いつのまにか窓際の席にいたはずの髭面がテーブル上の新聞と珈琲とノートパソコンを残したまま姿を消していて、おい、デモだぜ、とあまり聞きおぼえのない声に促され窓の外を見やると通りはひとで溢れかえっていて、その中に髭面の男がいてプラカードを持ってなにやら大きな声で叫んでいるようだったけど店の中ではなにをいっているかわからなかった。そもそも髭面の声をぼくは知らないのだしデモだということは叫んでいるひとがほかにもいるということだろうから聞き取れたところでそれが髭面のものであるか定かではない。ひょっとしたら叫ぶふりをしてるだけかも知れないじゃないか……。