2004年について



 ……何の言葉も持ち合わせていないしあくまで知らぬ存ぜぬをつきとおすつもりなので今年観た映画やら聴いた音楽やらの芸のない羅列を飽きるまでやってみようと思う(とりあえずまだ飽きていない)。今年もっとも感動した映像作品は"STAR WARS KID"だった……といえるのかどうか、そもそもこれが巷に流布したのは昨年なのだからいまさらにもほどがあるのだけど今年観たのだから仕方がない。2分足らずのオリジナルをまず観てひとしきり笑ったあと急に醒め、これはリュミエールの『工場の出口』ではないかと思った。しかし現場はもちろん工場の出口ではないし(視聴覚室)、映像をとらえるのは大仰な撮影機ではない(ビデオカメラ)、ここから何もはじまりはしないだろうしそもそも誰の目に触れることなく、ひょっとしたら撮影者さえも観返さないその場で刻まれた端から消え去るようなものだったのかも知れない。しかしここには正しさが漲っている。いや、正しさというかたちはなくあるのはただ正しい映像、野暮で心ない第三者によって露わになるそのmore rightは非常に居心地が悪く、快さと同時に根の張らない罪悪感のごときを抱いてしまう。


 先々月あたりに友人に強制拉致されたあげく椅子に縛り付けられ二時間『踊る大捜査線』の映画版二作目を見せられたのだけどこれが史上最悪とも思える映画で、同じ友人の家でかつて観た『死霊の盆踊り』とか『幻の湖』とかそういうどうしようもないほど救われない映画とはちがって(……と書きながらいまさら彼の悪意をひしひしと感じているのだが)ネタにする気も起きずにひたすら虚ろで、よく知らないが堤幸彦とか押井守とかエヴァとか……そういうのは趣味の問題なので勝手にしてもらっていいのだけど警察官僚の癒着とか監視とかテロリズムとかその手のナウでイマい「問題」とやらを何の思想もないままつぎはぎしてドラマをでっちあげる手腕は最悪の意味で「確信犯」と呼ばれるに相応しいものだと思う。一作目がましに見えてきたじゃないか(ただしあくまで小泉今日子が拘束される寸前まで)。こういう映像が映画として遇され多数の人間に支持されていることに別に文句はない(しあってもわざわざ言わない)。こんなもの映画じゃないなんて強弁するつもりもないしそもそも「映画」というものに過度の思い入れや愛着があるわけではなく、ただやっぱり「映画」なんてろくなもんじゃないしなるべくなら係わらずにいたいものだ……とどっと疲れて肩を落とすだけのこと。そんなときに"STAR WARS KID"を観て、百年以上前のリュミエールを思う。『工場の出口』がそうであるようには決して"STAR WARS KID"は特別なものではない。何の意義もないし何を記念もしない。それ以前に映画でもない。それゆえにこの映像はmore rightなのだと思う。数十年も豪気にまちがいつづけながら延々とつまらない映画(とそこに含まれるいくつかのすばらしい場面)ばかりを撮りつづけるゴダ爺ならこの映像を観て何を思うだろうか。そんなこと知るか。


 来年はもう少しゲームをやろうと思う。とりあえず『Elder Scrolls 4:Oblivion』と『最果てのイマ』と『True Color』が発売するまでは死ねない。死ぬかも知れないけど。