地下に降りるエレベーターからずっと右肩の奥あたりから低域と高域が擦れあうような音が聞こえていて、やがて音と音が衝突し、衝突しきれずなし崩しに絡まり、剥離し、散らばり、染み入るように消え去ったかと思えばどこかしらかで炸裂してふたたびリズムを刻みはじめ、人がまばらな早朝の地下鉄に乗り込んでシートに身を沈めても音はつづいていて、鳴っただけ存在する音、存在の持続のみで形作るリズムとして右の肩先やや斜め上で停滞していた。それはもはや音楽ではなく悲劇にも喜劇にもなり損ねた音の悲鳴のようでだんだんと憂鬱な気分になってくる――のだけどそれだけではなく、地下鉄が動きはじめて間もなく車両中が酸えた甘い臭いで満たされ、とはいえ誰も素知らぬ顔で振舞いを保っているのでひょっとしたら自分の周りだけなのかも知れないがともかくそれほど甘い臭いと易々と形容して片付けてはしまえない強烈な……緩さによって引き締まった臭い、スプリングの軋みが充満し明滅する淡さの波が鼻腔を湿らせもはや視線を落として手の内の活字を追おうという気さえなくなり、一時的に異臭が引くとたちまち音の悲鳴が耳に飛び込んでくるのだけど憂鬱になるどころか少し救われた心持ちになって、しかしそう思っていると左側に座っていた人物が身体を傾けて手足を開放しシートに体重を預けるような形になって(どうやら酔っているらしい)口を少しばかり開けて歯をくるむように上唇と下唇を内側に織り込むと息を大きく吸い込んで喉に溜めこみ、やがて口全体を振動させながら息を吐き出しすのとほぼ同時にかつてないほどの量と生温かさの異臭が顔まで押し寄せてきて思わずうつむきながら左手で顔を隠すように鼻を押さえ、それでもおおっぴらに鼻を押さえることができずに漂う異臭に曝されるままで席を移動することも思いつかないまま降りる駅までやりすごし、しかしなんとか身体を持ち上げて電車を降りようとしていると両隣からなにかがあからさまに動く気配が感じられたので無心に足をはやめて改札を抜けた。