《あなたは子どもは天使だという。たしかにいった。しかしその天使の髪の毛は十年もしないうちに爛れおち爪は反りかえり肌は捲れあがりその内の腐敗をあらわにする。『カレイエス探訪』にはこう書いてある。《夢の道すがら/薄明の海岸にて天使の舞うを感じ/動かしていなかった足を止め/そっと/その羽撃きに耳をそばだてる/やがて気配が遠のく/見るな!決して》。また自らの巨体を競売にかけて死んだ矮小なる魂の持ち主G.G.G.は自伝の中で何度もこのおろかなフレーズを繰りかえしている。《わたしというパッセージ》。正気か?しかし残念ながら彼はきわめて正気なのだ》


 《子どもは頭の中で天使を育てている。こういって語弊があるならばいい直そう、子どもの頭の中では天使が育っている。子どもは天使ではなく天使の里親なのだ。彼らが天使に見えるのも無理はない、そして彼らがやがて天使とはほど遠い肉塊に堕するのも無理はない。子はいずれ親のもとを離れる。親のもとには天使の痕跡だけが残る。それをひとは天上の調べというだろう。しかしそれもまた勘違いだ。そこにはただ天上の調べに磔にされて終わりなき覚醒に身をさらす天使の親たちの姿が認められるだけなのだ》


 《天使を育てすぎなければ彼らは親のもとを去ることはないのだが……》