テレビで『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』をやっていたので途中からだったけど最後まで観る。どっと疲労する。よくは知らないけどおそらくこの映画はファンから歓待をもって遇されているのだろう、ということはテレビシリーズもおそらく「この線」で受けていたのだろうし、やはり氣志團哀川翔が演じる彼ら自身として出てくると喜んだりするのだろうか、したのだろうかまさかとは思うが……。『ピンポン』のときにも感じたことだけどつまらない小ネタを散りばめながらドラマをいちいち余計な落としどころに落としこんでいくこの脚本家がどうにも足を引っ張っているような気がしていまひとつ世間の評価に乗る気がしない、昨年の大人計画イケニエの人』では何やらわめきながら大暴れしている姿を遠くからぼんやりと見守っているのに精一杯だったのだけど。ただしラスト、余命半年を宣告された岡田准一が結婚写真の撮影のあとに遺影を撮られる運びになって「なにもこんなときに……」と苦笑しながら家族に柔らかく抗議し、曖昧な顔でモノクロのフレームに収まるこの一連のやり取り、おそらくこの映画の根底にずっと漂っていたであろうこの微温的でどこか白々しい気分はなかなか快く、しかしどこか身に迫るものもあって、どうしてこのままじゃダメなんだろう、どうしたらこれがゴミゴンになってしまうんだ……と少しだけ残念な思いを持て余したままエンドクレジットを見送った。


  なんでこんなことを書いてしまったんだろう。教養なんて必要ない、ということ書くつもりだったのに……。まあ、いつものことだけど。教養、教養と熱に浮かされたようにつぶやく人はポルトガル文学にちゃんと接してみるといい。憑き物が落ちるはずだ。