パソコンの前に胡坐をかいて生活のただなかを交差する「待機」のはざまでぼんやりと手近なところに転がっているいままで散々目を通した本やチラシや雑誌の断片を拾い上げては放り捨て(一昨年に行った豊田道倫の弾き語りワンマンライヴでもらったチラシにCDやライヴの宣伝とともに刷りこまれた詩をなぜか何度も何度も手にとっては読んでしまう。《ある夜/女がいる酒場で飲み/女の匂いを少し嗅いで/夜更けに外に出て/友人と別れ/オレはあてもなく東口をさまよい/たまにバーで会う太った男を見かけたが/何かいやな気がして声はかけず/冷たい缶コーヒーで喉をうるおし/コンビニの大きな袋をぶら下げ若い女二人の後ろをつけ/最近出来たらしい漫画喫茶に入った/狭い部屋に通され/シートに深く身を沈め/慣れないWINDOWSマシンでインターネットにつなぎ/ぼーっと画面をただ見ていた/この店には何人の若者がいるのだろうか/この狭い個室でみな何をしているのだろうか/退屈のやさしさに慣れはじめている/退屈のかなしさに慣れはじめている/ああ/こんな風に時が過ぎて人生が終わるなら/何もなかったことと同じじゃないか/(僕は)/すぐに店を出て/始発を待つプラットフォームに立つ/座るな、オレ、立て/朝に脅えないで/電車を待とうじゃないか》……思わず全文引用してしまった)、マウスの残像で画面の中を縦横無尽に切り裂きながらwebでDLした音楽ファイル(最近よく開いていたのは詩月カオリ霜月はるか(この間違いは何度目か……次に間違えたらきっと死のう明日死のう)「Silent Flame」や『ゆのはな』主題歌だったりするのですが)や引っ張ってきたBeckettやСоколовのテクストを開いたり閉じたりして、ふとそういえばCDの音が途切れてずいぶんたっていたなあということを思い出し、その日はまず『Rubber Soul』からそのまま『Pet Sounds』に移行し(定説なのか例のごとく中山康樹が勝手に言っているだけなのか定かではないけどBrian wilsonマリファナの煙の中で聴いたアメリカ編集版『Rubber Soul』から「音楽的影響」をいっさい受けていないということはないように思う。音の詰め込み方だとか密度、メロディやリズム構成など音楽的にはまったく影響関係がないようにも思えるが、『Rubber Soul』の音色、コーラスおよび楽器の配置と空白の密度による……どれがどうとか個別に取り出すことの難しい蓄積しては分け解される音全体の手触りはやはり『Pet Sounds』に深く通じている。Maccartneyのベースの音とも響きあっている)、The Mothers of Invention『Absolutely Free』を通過して『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』までいっきに駆け抜けた(あるいはこの順番はてんでデタラメだったかも知れないし実は同じ日に聴いてさえいないのかも知れないけど気分としては「駆け抜けた」)。


  こうやって(きわめて恣意的に)聴いてみるとやはり『Sgt.Pepper』が際立っているように思う。とはいえ音楽的な評価だとか完成度がどうだとかいうことでは全然なく、また革新性や時代性といったどうでもいい話題でもなく、なんというかなぜこんなものが作られたのかがまったく判然としない突然変異のような代物でどうしても聴き終わってから唖然として脱力してしまう、ということ。The Beach BoysFrank Zappaはその点スッキリしている。じゅうぶんな音楽的必然性を感じることが出来るとても気持ちのよい音楽だし、また感情を素地にした明晰さや理性の光に満ちときおり感動さえしてしまう……「それに引きかえThe Beatlesは」というわけではない、これら三組のあいだに音楽的観点から甲乙をつけるなんて愚行以外の何ものでもなく、素晴らしいといえば三(四)枚とも素晴らしいに決まっているのだけどやっぱり「アイツ」だけはどうしても不気味で気持ちがわるい……いやマッカートニー個人がどうだということではないのだがこのアルバム全体がマッカートニー的な心なさに覆われてしまっているのは間違いない。特にレコードのB面、"When I'm 64"から"Lovely Rita"へ至る流れは気持ちわるさがとことんまで極まっていて最高だ、しかもすぐあとには"Good Morning, Good Morning"が控えているのだからもう卒倒するほかない、そこから途切れることなく"reprise"(しかしこのバンドはここぞというところでなんと締まった演奏をすることか)、そのままアンコールの"A Day in the Life"という完璧としかいいようのない展開、そしてあくまで気持ちのわるさだけは忘れない、あの全員がマッカートニーであるかのような不可解な散らばり、そしてときおり見せる叩きつけるかのような僥倖の微笑み……時代を象徴する一枚になってしまったのはもちろんたまたまだし、それを引きずったまま90年代に至ってしまったのは不幸以外の何ものでもない。借りもののコンセプトを着込んだ不気味で心ない音楽として予備知識のない状態で聴かれることをいまこそ望む(ところでビーチボーイズもそのあとに『Smiley Smile』という気持ちのわるい曲満載のアルバムをリリースしているが、これはあくまで寄せ集めでアルバムそれ自体には(成り立ちを含めて)不可解な部分はあれ不気味さはない。そこからテルミンをラインにゆがんだオルガンの断片を散りばめてなぜかソウルフルにCarl Wilsonが叫ぶ"Wild Honey"へと至る流れはたしかにひたすら意味不明で呆れるほかなく、でも大好きで、この二枚がつづけて収録されたアメリカ版の2in1CDはたぶんいちばん聴いていると思う(つまり『All Summer Long』や『Sunflower』より))……。