ハイル! 撫で肩ロマネスク


 《まずは自然を描写せよ、その中で克明かつ徹底的に破壊せよ》


  久々にどうしようもなく馬鹿なひとに会った。鏡じゃない。喫茶店の隅っこで頬のしわを寄せ合って座り、前後に身体をゆすりながら足を組みかえたり足首を組みなおしたりスティックシュガーでやぐらを組みあげたりしている暖色系のささくれ立った素人探偵たちの輪のなかでその馬鹿はひとりはしゃいで誰もが知っているのに誰もがわざわざ口に出さないことを延々とまくしたててはときおり思いついたように取り澄ました顔でとんちんかんな真理を差し挟んであたりを見渡す。「近ごろはやたらめったら周りに詩人が集まってきましてね、我に返ったら詩人のただなかにいることがしょっちゅうでね、でもその詩人というのが揃いも揃って三流詩人なんです、たしかに詩人なんです、どうあがこうと弁明しようと逃れようもなく彼らは詩人で、でも駄目詩人で、詩人であるということはすでにして駄目な人間ではあるわけだけど彼らは詩人としても駄目で、でも詩人であることは間違いなくて、駄目詩人、三流詩人、駄目だから詩人だというわけではないけど詩人というのは総じて駄目で、だから詩人というのは駄目の一形態ではあるんだけど駄目詩人は詩人の一形態ではないですね、何が駄目かというともちろん彼らの書く、生み出す作品がまず駄目で、もちろん駄目詩人だから駄目な詩以外書けるはずがないじゃないかと考えるのが人情なんだけどでも駄目な詩があるから彼らは駄目詩人だということにかろうじて気がついてもらえるんですね、でも駄目詩人は自分が詩人であることを認めない、慎み深げな仕草で、意味ありげで、悩ましげで、そっとしかし堅固な動作で辞退の句を口にするわけだけどつまりそれはもっとも俗っぽく下卑た勘違いに基づいた身振りですね、「ありげ」な身振り、知性とは切り離すことだという勘違いに基づいているようなんですけどまあそれは知性という切り口にしか過ぎないわけで駄目詩人にはお似合いです、それでじゅうぶん、本当は何もかも気づいてないのかもしれませんがそうであるならその者は幸いです、そしていずれ同じことです、近代だろうが前近代だろうが関係ない、それはだから切り口でしかないわけでまったく駄目詩人的なフレーズで、彼らにはフレーズしかなくて、フレーズというのは切断する力なんです、駄目詩人とはかろうじてのりとはさみを上手に操ることのできる連中で、それはもちろん彼らの特権ではなくおまけに彼らは駄目詩人でさえあるわけですから始末におえない、国家は手帳を配布すべきです、動けといわれれば留まり、留まれといわれれば動く、天邪鬼ではなく彼らは言葉のままにそうしているわけで、それが知性で、知性がそれで、もっとも容易い、それがお似合い、たとえ天邪鬼であったとしても事情は変わりませんがとにかくまったくもって勘違いの塊で、言葉が何を示しているのか、そもそも何を示そうとしていたか、何を示しそこなったか、そういうことにはいっさい頭が働かない働かせない、不能者のくせ不能者であることを恥じまたわざわざそれを表明して憚らないただの堕落した生活者であるにもかかわらず駄目詩人でさえあるわけです、法制度を整えるべきです、詩人と距離をとったつもりがそのど真ん中にいるのが駄目詩人で、連中はいかなる意味、意義、観点においても詩人でありそれ以外のなにものでもないという……」とこのままその大馬鹿が言ったわけではない、実際には合間合間に茶々が入り、囁くような野次が飛び、ウェイトレスが呼び止められ、ロングポテトが皿のうえに持ち込まれ、秒針が刻まれ、分針が運ばれ、窓際の席で人陰にかくれて『Answer Me!』のリイシューが読みまわされ……稀代のマイクロ馬鹿はそのたびに困惑した顔つきであたりを見渡し、「あなたがたのことではないですよ」と言いながらテーブルの各隅に組みあげられたやぐらを人差し指で崩してまわった。それにしても素人探偵たちはなんと上手に目を逸らすことか、ごくナチュラルな装いで、また各々が各々の仕方で聞いていないふりを持続する。次第に視線の行き場を失っていくオメガ馬鹿と思わず見詰めあってしまう羽目になりどちらともなく喉などを鳴らしてしまったのだが……幸いにもこのあとシアターBRAVA!松尾スズキ『キレイ』を観ることになっており、タイミングよく焦れた山の神から電話がかかってきたのだった(あくまで偶然を装って「まっくら森の歌」をフルコーラスで聞かせてやりたかったのだが喫茶店なので味気ないヴァイブ音が鳴っただけだった)。