偉いぞ青空文庫(というか入力者氏)。Андреев Леонид Николаевич よい訳だなあ、でもなんか語彙が古めかしいなあ……と思いながら読み終わって作品情報をみたら翻訳者は森鷗外だった。こんなことを言うのもなんだがさすがの慧眼にひたすら恐れ入る次第。

 レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。

 こういうくだりに面すると、ああ、ロシア小説を読んでいるんだなあ、という気にさせられいかにも快い。そしてこの感覚に多少なりとも寄せる想いのある人々にはぜひ《庭は、自分の方からやってきた》という一文からはじまるヴェチェスラフ・カザケーヴィチによるエッセイ『落日礼賛』を読んでいただこう。


 最近SENNHEISERのヘッドフォンを買った。ゼンハイザー。綴りを見る限りこの読みを間違えるはずもないのだけど、店頭でうっかり「ゼンホイザー」と言ってしまった。そしてそのとき言葉を発しようとしてとっさに頭に浮かび、まっさきに口からついて出ようとしたのは「タンホイザー」だった。素直に床に倒れ込んでしたたか受け身でもとっておけばよかったものの、臆病に由来する咄嗟の判断でうっかりと身体をひねって無理な姿勢で着地しようとしたばっかりに足首をひねってしまったというわけ。しかしなぜにヴァグナー? ヴァグナーといえばPaul Hindemithはけっこう好きで中古屋でディスクを見かけたらついつい手が伸びてしまう作曲家なのだけど、いまだ『午前7時に村の井戸端で二流楽団が初見で演奏する「さまよえるオランダ人」序曲』を入手できていません。誰ぞ譲って。