先日今年観た映画はどうだったのよ汝のベストはどうなのよああん?と詰られるように問われ、うーん今年は映画祭みたいなのにも参加していないし例のごとく月平均で1.5本くらいしか観ていないんだけど、と断りを入れつつ、サッド・ヴァケイションかブラック・ブックかなあ、ああそういえばボルベール <帰郷>もよかったよねえなぜかいつも観たことを忘れてしまうんだけど別に印象が薄かったわけでも重要じゃないわけでもなくただ単に思い出せないのだというだけで、うん、まあ、ワーストは秒速5センチメートル*1にあっさり決めてしまえるのだけどしかし、でもなあ、そう……とぶつぶつ呟いていたのだけどもちろんここで結論を出すわけにいかないことはわかっていた。井土紀州『ラザロ』をその週末に観る予定だったからだ。で、まず金曜日に第三部にあたる『朝日のあたる家』を観て、翌土曜日に『蒼ざめたる馬』と『複製の廃墟』を観た。エンドクレジットのあいだ渦巻く狂熱と沈み込む圧倒の反作用に身体の統御を奪われ、ぼんやりとした頭で照明が灯ると同時に弾かれるように席を立ちその場で足許をふらつかせているとスクリーンの前のステージ上に椅子が二つ準備され、劇場の人が井土監督と『追悼のざわめき』の松井良彦監督の登場を告げたのであわてて腰をおろし闇雲に手を叩いた(観客は十数人しかいなかったので、トーク付きなんだからもっと見に来いよ、と自分を棚に上げて思った)。予定では三十分程度だったのだけどたいていこの手の談話はエンジンが掛かりはじめるまで若干時間を要し、かなりいい感じにまわりはじめたところで時間がきて締め、というのが定番で、このときもマユミを演じる東美伽の話をはじめた辺りで舞台袖から件の劇場の人がちらりと姿を見せ、しかしやはりマユミを演じた女優さんの話は誰もが聞きたいだろうし(なにせオーディションの日に大学を辞めてくるようなひとなのだ)、話も興に乗っているのでいったんは引っ込み、しかし談話はさらに回転数を増し、時間は刻一刻と終電の時間に近づいているため、やむなくステージ上におずおずと姿を見せ、それに気づいた松井監督が話を切り、観客からの質問を三つほど募り、その夜はお開きとなった。


 松井監督の姿を見るのははじめてなのだけど(井土監督は『LEFT ALONE』の上映会で一度)、やさしく明朗な方で、物腰はちょっとだけ高橋悠治を連想させた。『追悼のざわめき』についても何度か触れていたのだけど、人間をありのままに撮る、臭いものとして蓋をかぶせられたものを「我々」と同じ俎上に乗せる、ということにこだわっていて、アングラ性やエログロが前面に出される売られ方とテクストの隙間からのぞく監督の横顔から受け取る印象のあいだに感じていた落差がみるみる埋められるというか連絡されていくように感じられ、井土監督も言っていたがなんだかいろいろと納得してしまった。あと実はこれがいちばんおどろいたのかも知れないのが、『追悼のざわめき』がDVD化されるそうですね。木箱入りの豪華仕様で、十二月。しかも二十年ぶりに新作を撮ったというじゃないの! そんなことも知らなかったなんて……愕然とさせられます。ともかくひとまず頭を冷やそう。


 ところで『ラザロ』はパンフもすごい。120Pが900円で、シナリオ再録から監督、女優、各スタッフへのインタビュー、高橋洋の談話、等々……夥しい量の活字で埋め尽くされもうこれはほとんど井土紀州ムックというかムックでこの充実は実現不可能というか、ともかく映画を観ていなくても必読。でも映画はそれ以上に必見だからやっぱり各自なんとしてでも観る機会を得てほしい。『朝日のあたる家』クライマックスのおどろくべき飛躍と変質を目の当たりにして、ほとんど呼吸をすることを忘れながら、日本映画は『ラザロ』の地点からもう一度やり直すべきではないか、と本気で思った。念じたよ!

*1:別段嫌いではないし、見たことを後悔しているわけでもなくむしろ劇場で観られてよかったとも思うが、やはりこれはワーストでしょうという感慨はぬぐい得ない。梅田LOFTの地下で(たまたま)映画の日に観たのだけど『電撃文庫ムービーフェスティバル』(いぬかみっ!灼眼のシャナキノの旅)予告編のあまりの場違いさと空騒ぎぶりには眩暈がした。同じアニメーションという括りでもって……どうせお前らこんなんやろこれが見たいんでっしゃろと襟首つかまれ迫られているような。まあどうせそんなんですが。『鉄人28号 白昼の残月』の予告編はさすがに伊福部昭の劇判がよかった。ところで第一話の「桜花抄」は見ていてなんか『キミキス』の星乃結美がしきりに目端にちらついて仕方がなかったんですが変でしょうかね?