前置きとthe interviews

ここにはいかなる蓄積もなく取り置きもなく滞留もなくただ書きかけで捨て置かれた断片とディスコミュニケーションの痕跡があるのみなので「あの、で俺さ、俺思うんだけどさ、俺は俺なりに俺と俺して俺俺さ……」と性急にはじめることができない。「わたし女学ニート生時代からOLニートになるのが夢なるニートリー・ミズ・アンフェアII世でー」などとPCも時代考証も無視してやおら語り出すこともできない。書くことがない、書くことがあってもきっかけがない、きっかけがあっても形式がない――そういうひとにうってつけのサービスとしてザ・インタビューズなるサービスがあるというわけでは必ずしもなく、というのもまず連想的によく引っ張り出される「○○バトン」や「100の質問」なるものと違って第三者から質問が来なければそもそも書き出すことさえできないのだから(とはいえサブアカウントを利用すればどうとでもできるがそれは単にシステム上可能であるという話でここでは関係ない)。そしてその質問はtwitterという積極性(followしてタイムラインを形成する)と消極性(そしてタイムラインは流れる)が各々のルールによって配分を変えつつ混在するサービスと半ば無理やり提携することによってより強い意味を持つ……というか、有名人ならいざ知らず、無名の一般ピーポーに誰が何を訊くのか、において、followとタイムラインの観察による固有アカウントの連続性とそれに対する読解が大きく寄与するし、それは曖昧にクラスタとも呼ばれる話題や趣味傾向によって分類・再分類される疑似コミュニティ的なレッテルを優に横断する。twitterはツリー状に話題が形成されにくいし、コメント欄もない。しかしfollow関係における信(持続性)の蓄積はある。twitterとインタビューズが結びつくことで、「信(持続性)の蓄積がある匿名子」という迂遠な立場からの質問が可能になるというわけだ。そうなるとインタビューはただの質問ではなく、被質問者というテクストに対するある読解の呈示となる。被質問者はそれを読むことで相手に自分は斯く斯くこのようなテクストとして読まれた、ということを理解する。そして読まれたところのテクストとしての自分をさらに読みなおし、インタビューに答える。第三者の視線と、読まれうるし、また読まれているというシステムや象徴体系への信が自らをテクストならしめる。そういうことをもっとも効率的に、効果的に行なう場として(twitterと連繋した)ザ・インタビューズというサービスを捉えることは可能だろう。一時の流行りものと見なされているようだし、実際ピークは過ぎたような観もあるが、別に盛り上がらなくてもいいので(できればあの気持ちの悪いトップページなどは廃棄してしまって!)、ひっそり、だらだらと、せめてtwitterご臨終の日くらいまでは衰えながら継続していってほしいものだ。


 それを踏まえて『メメント』と『Steins;Gate』について次は書きます。書けたらいいな。書いたつもり。