事あるごとにただ単に自分が気に入っただけ趣向が一致しただけ妙なツボに入っちゃっただけのものを傑作である必見である超絶最高すばらしいと吹聴してまわり問い返されぬうちにしかめっ面でだんまりを決めこみわざとらしく咳きこんだりしながらどこ吹く風でゼロ年代とやらをでっちあげ擁立し支持し代表しちゃう明証性の申し子たちがひしめくこんな世の中じゃポイズン……とはいってもやっぱり五十嵐大介を一刻も早く国宝に(各自心の中で)認定せよ。『海獣の子供』を開けばまつげ長めの子供たちが待っている!sola イメージソングアルバム
 アルバム『oratorio』 悪くない。ゆうまお茶太eufoniuskukui……と面子をはじめ見たときには「これでうっかりSuaraとかが参加しちゃっていたら……」と胸に軽い焦げつきを抱えこんだものだったが、なかなかどうして寄せ集めに留まらぬ緩いトータル性が心地よくDerek BaileyとDr.dogの間隙にするりと入り込んでいっかな離れない。未知の者を作品へと導きうる折り目正しいイメージアルバムだと思う。『sola』は六話目(のみ)を録画に失敗してなんかそのまま不貞腐れるような形で視聴中断していたのだけど反省した。

全世界の行進はしずかに始まった。
昔の悲しみに心はもはや騒がぬから。
永年の
   愁いは
      しずかに節づけられ、
その唄は天空高く放たれた。
だれかの死を、
       とわの想い出を語る声々の
こだまはなおもひびきつづける。
だが人々は
     すでに
        華やぐ町々へ
快楽に色どられた時間を走らせた。
いざ走れよ、唄のしらべに乗り、
花咲け、大地よ、脱穀と種まきのなか。
きみに贈る、
     革命の血まみれのイリアスを!
凶年のオデュッセイアをきみに!

 どんな雑誌にだって休刊のときはやってくる。再開の約束が口にのぼれど、それが果たされた試しのないことも必ず誰かがそっと耳打ちしてくれるはずだ。だから何の感情をも動かされることなく横目で看過すればいい。いつものように読み捨てればいい。気まぐれに遡って拾い読めばいい。最後だからとわざわざ手に取る必要などないのだ。雑誌などひとつ残らずこの地上から擦り消えてしまえ。とはいえ『るしおる』にはヨシフ・ブロツキィが載っていた。雑誌の休刊そのものではなく、雑誌が休刊してしまうという事実に耐えられない……。