あった間にあったやっと見つけたひとりでできた、別に探しても求めてもいなかったけど……気づかなかった、形式から見捨てられ見切りをつけ意味へと散乱し知らぬうちに裏切られるあの鈍重で聞き分けの悪い散文のうごめきに覆われていたので見過ごすところだったし一度は見過ごしていた、耳を澄ましても何の音楽も聞こえてはこなかったのに、意志だけは漲り、一歩を踏みしめるごとに足許の様相がわずかに変容する、あらかじめ引き裂かれた時間が懶惰にまかせて積み上げられた空き地にひとまずは立ち止まってよかった、引き返してみてよかった。詩はずっとそこで見つけられるのを待っていた、すでに来てしまっているため二度と来ることのない明日を待ち望むわけではなく、またいまだ来ていないことだけは明らかな昨日を事後性の名のもとに踏みにじるわけでもなく、視覚に疎外され、聴覚に追い立てられ、嗅覚になぶられ、味覚に無視を決め込まれ……指にすべての神経を集中させ言葉の薄皮をなぞってみればわずかに触覚として感じられる、つっと温度が先端を焦がし、滲んだ血によってそっと汚される、待つことの過酷さに対して開かれたままそこで朽ちようとしていたしすでに朽ちてしまっていた(同じことだ)。ひとを歩かしむのは音楽で、音楽は鳴りやむことがない。自同律が美しいのはそれが地上では決して蝕知しえぬものだからだ、そして蝕知しえぬもの、「存在」せぬものを存在すると誰の耳に留まることなくひっそりと強弁しはじめるときに音楽は鳴りはじめる、すでに鳴っていたその響きに潜むことができる。たまたまそれを聞きつけて駆け寄ってみたら詩がそこにいた、というだけの話だ。珍しいことじゃない。詩がどこで待っていようとそれはおかしなことではないのだ、ちっとも。